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愛の値段、プライスレス(ただし0円) /純喫茶リリー#48
ある日ママが、
「あんた、これやるわ。土曜日は学校終わってからヒマやろ。」
と、カセットテープを律子にくれた。
「中森明菜-ファンタジー」と書かれたケースのカバーでは、中森明菜がこっちを見ている。開けると、エメラルドグリーンのカセットテープ。
「すごい…!」
まさかのプレゼント。
えっ、なに、どうして!? 律子のために買ってくれたの!
やさしい!うれしい!やっぱりママは律子のこと大好きなんだな!
学童をやめた律子に、ママが暇だろうと、音楽をくれたのだ。
最近の音楽の中から律子がきっと好きになるだろうと中森明菜を選び、レコードではなく一人でも聴けるカセットを買って。
ママは律子のことを考えてくれたんだ。
そっと値段を見たら、2,800円もする!
そんな高価なものを、律子に……。
これはもう愛である。
律子はカセットも、ママの気持ちも、嬉しくて仕方なかった。
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律子はその時、中森明菜を知らなかったが、自分のカセットがあるなんてちょっと大人っぽいな。かっこいいな。とにかくうれしかった。
誇らしかった。
土曜日の午後は、何度も何度も聴いた。
律子の家には似つかわしくない、お父さんの立派なステレオで。
カセットテープ1本全部を聴いて50分くらい。
その1本を何回も何回も聴きまくった。
律子は、中森明菜が大好きになった。
「中森明菜が好きということは、中森明菜以外は好きじゃない」
他の歌手を応援するなんて、中森明菜に失礼だ。
「笑っていいとも!」で律子に順番が回ってきたら、
絶対に中森明菜を紹介しよう——。
そんな決意をするほど、大好きになった。
そういったわけで、ママがくれたカセットは、この先数十年も、
律子にとって特別なものになった。
——そして数十年後のある日、律子はふと思った。
「あれ?そういえば、ママって中森明菜好きだったっけ?」
ママが明菜に興味を持っているところを見たことがなかった。
律子は気になってママに聞いた。
「あの時、なんで中森明菜のカセットくれたの?」
ママは
「え?そんなんあげたっけ?覚えてないなぁ。」
……え?
「あぁ、あれか!あれ、大巻さんからもらったやつや。」
……え???
「大巻さんが、『これ、買ったけどもういらんから、あんたにあげるわー』って。」
律子、固まる。
聞かなきゃよかった。
ママが家でひとりで待つ律子のことを考えてプレゼントしてくれたとずっとずっと思っていた。
律子の人生でこんなに「聞かなければよかった」と思ったことはない。
一生聞かなきゃよかった。
聞かなければ、大事な思い出のままで、遺品整理の時に娘が見つけて、
「おばあちゃん、これ、大事にしてたんだね……」
って泣くやつだったのに。
それが、大巻さんの「いらんもの」だったとは。
律子、がっくり。
2,800円の愛は、0円だった。
明菜のカセットをくれた大巻さんのお話はこちら
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