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ビート文学の入口 「オン・ザ・ロード~路上」ジャック・ケルアック(改訂)
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自分にとって
かけがえないのは
狂った連中だった
彼らは
狂ったように生きて、
狂ったように語り
狂ったように救済を求め
全てをどん欲に要求する
あくびなど絶対にせず
凡俗な事など、ひと言も言わず
彼らは
燃えて燃えて燃え尽きて
消えてゆく
黄色い花火が散るように
星々を渡り行く蜘蛛みたいに
ケルアックは、バロウズやギンズバーグらとともに、1950~60年代アメリカの「ビート・ジェネレーション」を代表する作家です。
このビート世代とは、第二次世界大戦後におけるアメリカの経済的・物質的繁栄と、その中核をなす中産階級に反逆する若者たちを指します。
「ビート」という呼称は、もとはスラングの「疲れた」から由来していましたが、後に「beatific(至福の)」という意味に変化しました。
彼らは「ビートニク」と呼ばれ、内なる自我を無制限に解放することを目指し、ドラッグや東洋哲学などを通して個人の自由と平和を唱道しました。
「オン・ザ・ロード」(1957)は、ケルアック自身をモデルにした主人公サルが、破天荒なディーンらとともにアメリカを自由に放浪する姿がエネルギッシュに描かれた長編小説です。
その新しい価値観は世界中に影響を与え、後のヒッピー文化やロック音楽に道を拓きました。
この小説には、物語としての起承転結はありません。
広大なアメリカ大陸を車で東から西、西から東へ渡り、最後はメキシコまで疾走する日々のエピソードが、ジャズのように奔放な言葉の激流となって綴られています。
旅を続ける理由や目的などありません。彼らにとっては路上こそが人生そのものなのです。
“Go mourn for man”
他者のために嘆く者になれ
これは終盤、メキシコの路上。見知らぬ一人の老人がすれ違いぎわ、主人公に唐突に投げかける言葉です。
このような、様々な場面や瞬間が次々と現れては流れ去って行く、これが彼らにとって「生きる」ということなのです。
この作品は、ほぼ自動筆記によって短期間で一気で書き上げられたものと言われています。即興演奏のような散文が500ページも続きますので、読者によっては慣れるまで少し時間がかかるかも知れません。
コッポラ総指揮により映画化がされており、前述“Go mourn for man”等の魅力的なシーンが多く割愛されてはいるものの、主なところが凝縮されていますので、先にそれを観た後、原作で場面場面を味わうのも「入口」として良いかも知れません。
Nothing behind me
everything ahead of me
as is ever so
on the road.
僕の背後には何もない
全ては僕の前にある
路上とは
そういうものだ
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ジャック・ケルアック(1922-1969~アメリカ・小説家)
1950年~60年代、管理社会・物質世界からの自由を叫んだ「ビートジェネレーション」を代表する小説家。自らの放浪体験をもとにした長編「オン・ザロード」(1957)が多くの読者を獲得し、ボブ・ディランをはじめとする多くのミュージシャンや文化人にも影響を与えた。他に「禅ヒッピー」(1958)等。
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Planet Earth
to my buddies
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