ノート類を公開するにあたって
西田幾多郎は哲学者=哲学する人であった。哲学することは、具体的には「読み、思索し、書く」という行為を通してなされる。ノートnoteとは「書きとめること」であり、「書きとめられたもの」である。西田は多くの書物を読んでノートに書きとめ、思索したことをその折々に書きとめ、それら書きとめられたものを基に多くの論考を書き残した。現在確認できる西田のノート類を概観すると、幼少年期を除くほとんどの時期が網羅される。とすれば、西田は金沢、七尾、山口、東京、京都、鎌倉とさまざまな場所で暮らし、その中でも何度か屋移りしながらも、その度にそれまで書きとめたノート類を持ち運び、生涯大切に保存し続けたことになる。西田の哲学は何度もその立場を変えているが、それまでの思索の過程を絶えず踏まえてなされたのである。そうした思索の過程と折々の読書、試行錯誤がノート類から垣間見られる。利用者が関心をもたれたノートを開いて、西田哲学と自己の思索により深く入り込んでいただければと願っている。
石川県西田幾多郎記念哲学館
館長 浅見洋 記
- 哲学館では、2021年3月現在、50冊以上の西田の手書きノートとメモ(ノート類)を所蔵している。東京帝大選科在学中の受講ノート、第四高等学校・京都帝大時代の講義ノート、研究(思索)ノート、読書ノートなど、さまざまな時期と内容のノートがあり、本デジタルアーカイブではその大半を閲覧することができる。なお、西田のノート類はこれまで『西田幾多郎全集』や『西田幾多郎全集別巻』を通して活字化され、公開されてきたが、本デジタルアーカイブでは活字化される可能性が低いノートもできる限り公開した。
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講義
幾多郎が金沢の四高や京都大学で講義を行った際に作成したノートです。
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思索
幾多郎が自身の思想を書いているノートです。
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受講
幾多郎が東京の帝国大学などで講義を受けた際に作成したノートです。
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読書
幾多郎が主に西洋の思想家の著書を読んでまとめる、訳す、写すなどしたノートです。
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メモ
まとまった文章になっていない断片的なノートです。自身の思想、引用など、内容は様々です。
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その他
上記に分類に入らないユニークなノートです。語学学習のためのノートなどがあります。
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未確定
講義ノートか受講ノートかが特定できないなど、種類が確定できないノートです。
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調査中……
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2015年発見の直筆ノート群について
発見から公開まで
2015年10月、幾多郎のご遺族のもとで12個の紙包みが見つかりました。開いてみると幾多郎の直筆らしきノートや紙資料が……。しかし、紙包みは湿気を帯び、虫がつき、カビによる甘い香りを放っていました。そのため、哲学館では早急に、さらなる劣化を防ぐための修復プロジェクトに取りかかりました。最初は手探りで方法を探すところから始まりましたが、多くの方々の協力を得て、特殊な乾燥処理を施し、固着したページを一枚ずつ剥がし、全ページの写真撮影をすることができました。ページが概観できるようになると、それがそれまで知られていなかった幾多郎の講義ノート・思索ノートや、幾多郎が帝国大学で授業を受けた受講ノート、西欧の書物を研究した読書ノートなどであることが分かってきました。これは幾多郎の思想形成の背景を知ることができる日本哲学史上の重要な資料になります。そのため、哲学館では滲んで読みづらい直筆を活字化していく翻刻プロジェクトも立ち上げました。膨大な直筆を活字化するのは地道で果てしない作業ですが、活字化することで、より多くの研究者がこのノート群を研究することができます。この翻刻作業は大学や西田哲学研究者の多大な協力によって進められ、一部は2020年に『西田幾多郎全集別巻』として刊行することができました。そして、2021年には「西田幾多郎ノート類デジタルアーカイブ」にて概要・画像の公開を行いました。このように、2015年の発見は、修復と翻刻の2つのプロジェクトが並行するという哲学館最大の難事業となりました。
修復プロジェクト
修復の目的は、資料のさらなる劣化を防ぎ保存管理ができる状態に回復させることです。同時に、今回発見されたノート群は書かれた内容が研究資料として重要なため、ページを開き写真を撮る必要がありました。また、博物館としてはこの発見を広く知ってもらうための展示や教育活動も視野に入れて考えねばなりません。そのため、修復プロジェクトとして主に4つの作業を行いました。
(1)乾燥処理
修復の第一段階として、紙の天敵である湿気を早期に、かつ資料の状態をなるべく悪化させずに取り除く必要がありました。そのため、震災後、文化財防災ネットワーク推進事業に取り組んでいた奈良文化財研究所・埋蔵文化財センターにご協力いただき、真空凍結乾燥法(いわゆるフリーズドライ)を施しました。
(2)展開
一度濡れた紙は乾燥すると固着してしまうため、中身を読むためには一枚一枚丁寧に剥がして開かねばなりません。同様に汚れやカビなどでページ同士が固着したところも、慎重に開きクリーニングする必要があります。今回発見されたノート群はいずれも洋紙で、和紙に比べると国内での修復例やノウハウが少ないのが懸念事項でした。しかし、洋書の修復に長けたNPO法人書物の歴史と保存修復に関する研究会に展開・クリーニング作業を委託することができ、ノート50冊すべてが展開されました。同様に、製本されていないレポート類については、合同会社AMANEで展開・クリーニングと整理作業が行われました。
(3)撮影
今回発見されたノート群は洋紙だったため、乾燥・展開を経た原資料は非常にもろくなっていました。触る機会を極力減らすため、修復に長けた工房レストアと学術資料調査・撮影に長けた合同会社AMANEに写真撮影を委託しました。デジタルアーカイブや翻刻プロジェクトでは、この画像データを活用しています。また、水に濡れたことで滲んで読みにくくなった赤色インクについては、さまざまな撮影方法を試し、石川県文化財保存修復工房の川口法男氏のアドバイスを受け、緑色のフィルムを重ねて撮影することでより判別しやすくなることがわかりました。
(4)レプリカ作成
修復を施しても原資料は非常にもろく展示に堪えられないため、展示用の精巧なレプリカを作成しました。外観・内容などからノート形態の24冊およびレポート類数部を選定し、工房レストアに作成を依頼しました。完成した精巧なレプリカは西田幾多郎生誕150周年記念の企画展「発見!!幾多郎ノート」(2020/3/24~2021/3/21まで)で展示しました。
翻刻プロジェクト
直筆を活字化する「翻刻」という作業の目的は、原資料に対してできるかぎり忠実な形で研究資料として活用可能な形にすることです。膨大な量の資料を正確に翻刻するため、多くの作業者の手を経て、少しずつ翻刻の精度を上げていきます。
(1)一次翻刻
直筆の状態から暫定的に活字化をする作業です。この作業の成果は、このあと更に精度を上げる二次翻刻のたたき台となります。英語・ドイツ語と専門用語が混在し、判読が困難なため、金沢大学と京都大学の翻刻チームがそれぞれ専門分野を生かして尽力しています。2020年度末時点でノート39冊、レポート類150部の一次翻刻が完了しました。
(2)二次翻刻
一次翻刻された資料のうち研究資料として重要なもの(幾多郎独自の思索が書かれている、など)から優先的に、より精度を上げていく作業です。幾多郎が参照していた文献をつきとめて照合するなどして、一次翻刻の誤りを修正したり、一次翻刻で読めなかった箇所を判読したりしていきます。人名調査・出典調査や哲学の専門的な知識が必要になるため、哲学館のスタッフや西田哲学の研究者などが作業を担当しています。
(3)報告・出版・公開
二次翻刻を行った成果をより広く活用してもらうため、報告書や書籍として出版します。西田幾多郎生誕150周年である2020年には岩波書店より『西田幾多郎全集別巻』としてノート8冊分を出版しました。また、『西田幾多郎未公開ノート類研究資料化報告』として2017年から報告書を発刊しています。そして2021年には早稲田システム開発のI.B.MuseumSaaSを活用して「西田幾多郎ノート類デジタルアーカイブ」を構築し、今回発見されたノート群の資料1点1点の概要・画像を公開しています。
<参考文献>
石川県西田幾多郎記念哲学館『西田幾多郎未公開ノート類研究資料化報告1~3』、2018~2020(以下、続刊)
石川県西田幾多郎記念哲学館『企画展 発見!!幾多郎ノート』図録、2020
石川県西田幾多郎記念哲学館『企画展 本になる―西田幾多郎の執筆・校正・編集―』図録、2020
(2021年3月10日文章公開)
関連サイト
石川県西田幾多郎記念哲学館 収蔵資料データベース
哲学館所蔵資料全体のデータベース。直筆原稿、遺墨、書簡など
京都学派アーカイブ
京都大学大学院文学研究科図書館所蔵の西田幾多郎の直筆原稿、田辺元の手帳・メモなど
群馬大学リポジトリ 田辺文庫
群馬大学総合情報メディアセンター(群馬大学図書館)所蔵の田辺元の原稿、ノート、手帳など
甲南大学デジタルアーカイブ 九鬼周造文庫
甲南大学図書館所蔵の九鬼周造のノート、草稿・原稿類など
金沢大学学術情報リポジトリKURA 北辰会雑誌(明治28年~昭和22年)
幾多郎の四高勤務時の論文や俳句・短歌など
金沢ふるさと偉人館(金沢文化振興財団) 西田幾多郎の紹介
金沢のゆかりの地や年譜、参考文献など