「食事遅くて助かった」と言った父 IAEAに勤めた被爆2世の人生

有料記事

富永鈴香
[PR]

 食事が遅いのは父親譲りだ。久野祐輔さん(70)=茨城県ひたちなか市=は幼い頃から、家族がすっかり食べ終わっているのに一人食事していると、父からいつもこう言われた。

 「食べるのが遅いのは、悪いことではない」

 こんな日常のやりとりに、「気にするな」ということ以上の意味が込められていたのを知ったのは、大人になってからだ。

学徒動員、父は広島にいた

 久野さんの父、富雄さんは1924(大正13)年に神戸市に生まれ、太平洋戦争末期に学徒動員された。45年は広島市宇品町(現広島市南区)にいた。宇品には陸軍船舶司令部があり、船の特攻兵である「暁(あかつき)部隊」の本拠地でもあった。富雄さんは船舶整備区隊に配属された。

 8月6日、午前8時15分。兵舎の食堂で朝ご飯の最中だった。ほかの人は食べ終わってそれぞれの職場で作業に取りかかっていたが、ひとよりも食べるのが遅い富雄さんは食事を続けていた。

 空一面がフラッシュをたいた…

この記事は有料記事です。残り1353文字有料会員になると続きをお読みいただけます。