思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
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いま、情報システムのユーザビリティ(使いやすさ)が問われている。 情報技術が高度化かつ一般化し、複雑な情報処理を、誰もが身近に使うようになった。 前世紀よりお題目のように唱えられてきた「高度情報化社会」は、もうすっかり現実のものとなっている。 システムの使いやすさに対する配慮 ところが、そこで問題視されはじめている課題が、ユーザビリティである。 使い勝手の問題から操作を誤り、結果として膨大な社会問題を引き起こすこともある。 数年前、証券会社の誤発注で莫大な損失が出たという事件があった。 その事件では、端末オペレータの操作系に問題があったとされている。 また医療向けシステムや航空機に搭載されている情報システムなど、 操作の誤りが死傷事故に繋がるケースもある。 このようなシステムでは、古くから誤操作(ヒューマンエラー)を防ぐ仕組みの検討が加えられてきた。 一方で、皆さんが普段利用している情報シ
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 あっ、空気って目線とかで読むんだなー。 今日はそんなことを感じました。 ある会議で進行役をやらせてもらったんですが、その場自体がはじめてだったことと出席者があまりに積極的な発言をしてくれたので、まったく仕切れなかったんですね。出席者の数も多かったし、話してるテーマが得意分野じゃなかったというのもありました。 でも、それだけの要因だけなら、普段ならもうちょっと仕切れたはずだったんですよね。それなのに、それができなかった。 どうして? なんでだろ?と思って気づいたのが、座る位置。 普段なら割って入れたはずのタイミングを何度か逃してしまったのは、発言者すべての顔が見えなかったからだと気づいたんです。よく思い出してみると、割って入るタイミングがつかめなかった人はすべて自分からは表情
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人間の生活やその環境・文化とデザインの関わり合いに関して、民俗学者の宮本常一さんは『塩の道』のなかで、こう書いています。 日本人は独自な美をわれわれの生活の中から見つけてきておりますが、それはじつは生活の立て方の中にあるのだといってよいのではないかと思います。生活を立てるというのは、どういうことなのだろうかというと、自分らの周囲にある環境に対して、どう対応していったか。また、対決していったか。さらにはそれを思案と行動のうえで、どのようにとらえていったか。つまり自然や環境のかかわりあいのしかたの中に生まれでてきたものが、われわれにとっての生活のためのデザインではないだろうかと、こう考えております。 「残念なデザイン。」から「デザインをする人に求められる資質」まで、yusuke
精神圏(せいしんけん)またはノウアスフィア(英語: noosphere、ヌースフィア)[注釈 1]は、ソ連の生物地球化学者ウラジーミル・ヴェルナツキーとフランスの哲学者にしてイエズス会司祭のピエール・テイヤール・ド・シャルダンによって生み出され、広められた哲学的概念。ヴェルナツキーは、生物圏(バイオスフィア)の新たな段階としてヌース圏(ノウアスフィア)を定義し[1]、この地球を「理知の球」(sphere of reason) と説明している[2][3]。ノウアスフィアは生物圏の発展における最高段階を表し、その定義要因が人類の理知的な活動の発展とされている[4] この言葉はギリシャ語の νοῦς(ヌース、精神・理性)と σφαῖρα(球・空間)に由来しており、造語法上の類語にはアトモスフィア(大気圏)やバイオスフィア(生物圏)がある[5]。ただし、この概念は学術者1人の功績とは認められていな
英語版記事を日本語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Resource Description Framework|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な
思考と行動における言語(要点抜粋) 第二版 S.I.ハヤカワ 大久保忠利訳(岩波叢書) 原序より ハッキリと考えることを学び、より有効に話し・書くことを学び、より高い理解をもって聞き・読むしかたを学ぶ−こういったことこそ、言語学習の目標である。この本は、これらの伝統的な目標に、現代の意味論の方法(=人生における言語の役割を生物学的に機能的に理解し、また言語の種々の用途を理解する)でせまる。 この本の著者たちが提唱する、一般意味論の土台にある倫理的仮説は、 「協同は衝突よりも好ましい」 であり、人間の協同の道具としての言語を活用すべきである。一方、自分の言語に関しては、批判的な態度を持つ必要がある。なお、一般意味論の知識は、単に知っているだけでなく、常日頃の活動で『活用』することに価値がある。 第1部 言語の機能 1.言語と生存 人間は先人の知恵である膨大な知識を蓄積し、無料の贈り物として
西垣 通(にしがき とおる、1948年12月12日 - )は、日本の情報学者、小説家。東京大学名誉教授[1]、工学博士(東京大学)。 コンピューター・システムの研究開発を経て、情報化社会における生命、社会を考察する。『アメリカの階梯』(2004年)などの小説も執筆。著書に『集合知とは何か』(2013年)、『ビッグデータと人工知能』(2016年)など。 俳人で明治大学教授の西垣脩の長男として東京都に生まれる。東京少年少女合唱隊に所属し、NHKのみんなのうたで歌ったことがある。世田谷区立松沢小学校から世田谷区立松沢中学校を経て都立西高校に進み、1968年に東京大学理科一類入学。1972年に東京大学工学部計数工学科を卒業(卒業論文のテーマはファジィ代数の応用)。 1972年、エンジニアとして日立製作所に入社。このときOSやネットワーク、データベースなどの性能設計や信頼性設計を研究し、客員研究員と
●東京大学大学院情報学環の西垣通教授は、ITの発達によって、人々は、日々機械的な情報処理に追われ、コンピュータの奴隷になってしまっていると指摘する。しかし、情報学的転回により、現在の流れを逆転させることが可能であると言う。そしてそれは人間が「生物の一種」であると認めることから始まると言うのだ。 ●情報学的転回とは何か。また、我々は、今後、情報学的転回に基づき、どのようにITマネジメントを行っていけばよいかについて、西垣教授に話を聞いた。 西垣 通(にしがき・とおる) 1948年東京生まれ。 東京大学工学部計数工学科卒業。 日立製作所、スタンフォード大学にてコンピュータ・システムの研究開発に携わったのち、明治大学教授を経て、現在、東京大学大学院情報学環教授。工学博士。 専攻は情報学・メディア論。 主な著作: ・「情報学的転回」(春秋社) ・「IT革命」(岩波新書) ・「ここ
« Flashでモーショントゥイーンを作る方法 | メイン | フラクタルなMVCフレームワーク:HCIとweb2.0の相似構造、HCIとHIIの階層構造 » 2006年05月09日 ■ HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと [Bibliography][Book][OK][Technology] 色々あって、昨日やっとこの本を手に取った。『新ネットワーク思考』などを現代版にしたような、凄く良いネットワークの本だった。 俺はSFCの奥出研究室でユビキタスコンピューティング&HCI側で勉強をしているので、4章の『錯綜する世界』で紹介されるMITのTangibleBitsや、McCulloughの『DigitalGround』などのHCI的マストな本や、アンビエントやパーベイシブの話と、ネットワークの話が関連づけて書かれててかなりぐっと
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いや~、GW明けの反動か、妙に眠くて仕方ないので、今日はもう新しいエントリーは立てずにおとなしく寝ようと思ってたんだけど、こんな爽快なツッコミ(これは全然嫌味とかじゃなく本当に爽快)をいただいては、黙って寝るわけにはいかない。 んで本題に入るんだけど、DESIGN IT!さんの続きで、HCI(Human Computer Interaction)からHII(Human Information Interaction)へという記事のがあるんだけど、これは実はちょっと違うんですよ。多分。 HCIからHIIに行く、というより、HCIの方法論を取り入れないと、HIIはシンボル==データの、地図みたいなのしか扱えないという事だと思う。 s.h.log: HIIにHCIのアプローチを取
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ピーター・モービルの『アンビエント・ファインダビリティ ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』を読んだ(実はまだ読了まではあとすこし)。 Web関連の本は極力読まないようにしているので、異例のことだといえる。 しかし、読んでみて正解だった。 何故ならWeb関連の本ではなかったからだ。 もちろん、Web関連の話題も豊富に含まれているが、それが主題であるとは少なくとも僕には感じられなかった。 では、これは何に関する本なのか? 難しい質問だ。モバイルコンピューティングとインターネットが交差する地点における情報のインタラクション(相互作用)についての本だと言ってもいいし、いまこの時代に起こりつつある稀有な文化的革命への窓を開く本なのだと主張してもよさそうだ。または読者の
HCIとは、@ITの「情報マネジメント用語事典」によれば、 人間とコンピュータ、あるいは人間と機械の接点におけるインタラクション(相互関係、対話型操作)に関する研究領域のこと。ACM SIGCHI (HCI に関する世界最大の学会)の定義では、「人間が使用するための対話型コンピュータシステムのデザイン、評価、実装に関連し、それら周辺の主要な現象に関する研究を含む学問分野」とされる。 Webサイトのユーザビリティ設計を考えてみても思い当たると思うが、従来はこのHCI的な発想に基づき、人間と機械(モニターに表示されたWebページのボタンなどを含む)との相互関係をデザインすることで、ユーザーがコンピュータを利用しやすい状況を作り出すことが重視されてきた。 それに対し「人間が情報に対して、その両者を結ぶ媒体は無関係に、どのように相互作用を及ぼし、関わりを持ち、処理を行うのか」を意味するHII(Hu
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