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最高の哲学集団『京都学派』知の暗黒史。なぜネトウヨ的に堕ちたのか?|今日のおすすめ|講談社BOOK倶楽部
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西田幾多郎をその嚆矢として、田辺元、さらには高山岩男、西谷啓治、高坂正顕、鈴木成高のいわゆる「京... 西田幾多郎をその嚆矢として、田辺元、さらには高山岩男、西谷啓治、高坂正顕、鈴木成高のいわゆる「京大四天王」をむかえて、日本最高の知性と称された京都学派の哲学者たち(鈴木成高は西洋史専攻)。戦前、彼らは圧倒的な影響力を持ち、大東亜戦争(太平洋戦争)の思想的な支えとなり、さらには国家へ殉じる精神を鼓舞するような言説までしたのです。 その戦争協力の責めを受け、戦後、公職追放に処された「京大四天王」(西谷啓治のみは復職)。彼らの思想的営為とは何だったのか、彼らはなにと格闘し、またなぜ戦争協力者となったのか、そして彼らの残したものはなにか、そこから私たちがなにを受け取るべきかを追究したのがこの本です。京都学派はどのように成立したのか、他の哲学者からどのような批判・肯定の目を向けられてきたかを含め、コンパクトに纏められた“京都学派興亡史”です。 西田幾多郎の『善の研究』が出版されたのが1911年、敗戦