言葉による不在 たとえば、ある絵の美しさは、言葉でいくら説明しても伝えることは不可能で、実際に見る以外に、その美しさを知ることはできません。そういうことから、言語能力の不完全性に言及することは、よくあるパターンです。 ただ、私が今回考えたいのは、そういうことではなく、言語が何かについて語るときには、不可避的に、そのもの、それ自体の存在を消失させてしまうということです。そして、そのものについて何か語っているときには、大抵の場合、その消失に気がつかない、ということです。 たとえば、私が、いま目の前の「この」茶碗について語っているとき、まさに、ここに今たった一つのものとしてある、そういう茶碗です。それを称して「この」と言っているのです。 ところが、茶碗を指す「この」という語は、いつでも、どこでも、何にでも使えます。けっして、いま私の目の前にある、まさに「この」茶碗だけに限定されて使われるわけでは