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フェミニスト批評家の北村紗衣さんが、初めて見た映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」。聞き手を務めるのは、北村さんの元指導学生である飯島弘規さん(と担当編集)です。 連載の中で紹介されていくポイントを押さえていけば、いままでとは違った視点から映画を楽しんだり、面白い感想を話せたりするようになるかもしれません。なお、北村さんは「思ったことをわりとランダムに、まとまっていない形で発してもよいもの」が感想で、「ある程度まとまった形で作品を見て考えたことを発するもの」が批評だとお考えとのこと。本連載はそのうちの感想を述べていく、というものです。 第八回でご覧いただいたのは、高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』です。 ※あらすじ紹介および聞き手は飯島さん(と担当編集)、その他は北村さんの発言になります。 あらすじ 多摩丘陵で
【素面のダブリン市民】第11回 ショーン・オケイシー『銀杯』に出てくる「フットボール」とは?(北村紗衣) ダブリン出身のショーン・オケイシー(1880-1964)という有名な劇作家がいます。街の真ん中にショーン・オケイシー橋があるくらいで、地元では大変よく知られている作家です。ダブリンのワーキングクラスの人々の暮らしをユーモアや政治批判を交えてリアルに描いた作家で、アイルランドの独立や社会主義などに関する政治活動も行っていました。代表作の『ジュノーと孔雀』(1924年初演)をアルフレッド・ヒッチコックが1930年に映画化していますし、日本でも反戦劇『銀杯』(1929)が2018年に上演されているので、ご存じの方もおられると思います。 ショーン・オケイシー橋 この『銀杯』には、実は私が以前から気にしていた疑問点がありました。ダブリンに来てこの謎が解けたので、今回の連載ではこの『銀杯』の謎につ
【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】「ガウェインの結婚」を歴史の授業で使わないで!~中世の英文学と女性がもっとも望むこと(北村紗衣) 『中世騎士物語』(岩波書店)より 2年ほど前に「世界史講義録」というウェブサイトの「最初の授業」という記事がバズったことがありました。これは高校世界史の授業初回で、アーサー王伝説の「ガウェインの結婚」をとりあげ、歴史は面白い……というような話の枕にするというものです。 詳しくはリンク先の元記事を読んでいただきたいのですが、非常にざっくり説明すると、アーサー王が敵の騎士から「すべての女性がもっとも望むことは何か」という問いを出され、それの答えが「自分の意志を持つこと」だったという話をネタに、「700年から500年くらい前の時代につくられた物語」なのに既に女性の人権に関係するようなトピックを取り扱っていて現代的だ……という内容です。 このウェブサイトの講義は、20
パリで移民支援団体に取材を申し込んだら、「産経新聞はダメ。価値観があわない」と断られた。日本語が読めないのに、どう判断したのかを聞くと、ウィキペディアを見たという。「保守系メディアはみんな断った。フィガロ紙も同じだから、気にするな」と変な慰められ方をした。 そこで、仏語版ウィキペディアを見て驚いた。産経新聞は「歴史修正主義者たちの伝達役」とあった。出典は、24年前のルモンド外交月刊紙の記事。自虐史観の見直しを求める教科書運動で、本紙が後押ししているという内容だった。英語版は「極右新聞」と書いた韓国の英字誌を引用していた。言葉の壁があるとしても、定義が乱暴すぎる。 取材を断られた恨みではないだろうが、くだんのフィガロ紙は最近、ウィキペディアを痛烈に批判した。出典が左派系紙に偏っていると指摘し、「もはや中立原則は消えた」と手厳しい。同紙によると、ジェンダー偏向をなくすとして、報酬を出してコンテ
「小学校英語の教科化」で何が起きているのか? 2020年度から実施された小学校学習指導要領の目玉は、小学5・6年生の外国語(実質は英語)を週2コマの正式教科にしたことだった。これによって、それまでの「聴く・話す」に「読む・書く」も加わり、成績もつけるようになった。 結果はどうなったか。文部科学省の「全国学力・学習状況調査」によれば、「英語の勉強(学習)は好きですか」との質問に否定的な回答をした小学6年生の割合は、教科化後の2021年度は31.5%だった。これは教科化前の2013年度の23.7%と比べ、約8ポイントも増えた。英語嫌いの児童が増えてしまったのだ。 原因の1つは児童に負荷をかけすぎていることだ。学習指導要領では小学校での新出単語を600〜700語と定めたが、多すぎるうえに、なんとか意味はわかっても正しく書くことは難しい。以前は中学2年生で習っていた不定詞を含んだ文が小学校に下ろさ
「“私はあなたの『アイヌ』ではない”」:小田原のどかが見た「ウポポイ(民族共生象徴空間)」今年7月に開業した北海道白老郡白老町の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」。「国立アイヌ民族博物館」「国立民族共生公園」「慰霊施設」によって構成されるこの国立施設が誕生した背景を踏まえ、「語られていないこと」について小田原のどかが論じる。 文=小田原のどか 民族共生象徴空間とは何か 2020年7月12日、北海道白老郡白老町に「ウポポイ(民族共生象徴空間)」が開業した。本来は4月24日に開業が予定されていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により2回の延期を経てのオープンとなった。同施設の「愛称」であるウポポイとはアイヌの言葉で「(おおぜいで)歌うこと」を意味するといい、2018年に一般公募によって決定した。民族共生象徴空間という名称は、閣議決定された内容に基づいている。 「アイヌ文化の復興と発展のナショ
2020年9月に北海道白老町の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を訪問した。本稿はその感想である。 ウポポイならびにその一部である国立アイヌ民族博物館についてはすでに多くの訪問機や記事が書かれている。その中でも小田原のどか氏の以下の記事は、私のウポポイ理解と共通している部分が多く、また基本的な事実を詳細に記述しているので、まず紹介しておく。 ガイドのホスピタリティーは高く、展示には体験を重視するさまざまな工夫が凝らされており、ウポポイが意欲的であることは確かだ。しかし、小田原氏も指摘しているように、和人によるアイヌへの差別の歴史の体系的な説明が足りない点も間違いない。一方で、SNS上では言及されることが少ないが、ウポポイは現在のアイヌが過去を復興しようとする取り組みの多様性やその困難を表現することに力点をおいており、そのことは肯定的に評価すべきである。本稿ではこの両面について触れ、その上で「
第1 作者と作品について 私(漫画作者)は、赤穂市民病院 脳神経外科で2019年から2020年にかけて複数発生した医療事故のうち、2020年1月22日に起きた医療過誤の被害者の親族です。 当時、私は一連の医療事故や脳神経外科の内情について、当事者や関係者の方々から直接、あるいは間接的に情報を取得することができる立場にあり、およそ現実とは思えないような異常な事実経緯を詳細に記録し、それらの情報を題材に『脳外科医 竹田くん』を描きました。 この漫画自体はフィクション(架空世界で展開される物語)ではあるものの、医療事故、及び医療事故にまつわるエピソードは、赤穂市民病院の医療事故事件と病院内のトラブルをモチーフにしています。なぜ同一医師による医療事故が多発してしまったのか、なぜ検証が適切に行われなかったのか、なぜ学会から認定停止処分を受けたのか、といった物語のテーマを読者にわかりやすく伝えるために
ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。 古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。 ロンドンの東地区イーストロンドンは街のエッジ(端)で、切り裂きジャック事件からデヴィッド・リンチの『エレファント・マン』まで、エッジィ(先端的)で尖った想像力を喚起する場所として知られてきた。 もはや現代美術の権威ともいえるホワイトチャペルギャラリーや、ヴィクトリア朝時代に建てられ改装されショッピングモールとなったオールド・スピタルフィールズ・マーケットに見られるように、ジェントリフィケーションに伴いサブカルチュラルな側面は少し落ち着
欧州国際書店連盟(EIBF)による欧米・オセアニア19カ国を対象にした「RISE消費者行動調査2023年12月」では意外にもイタリアが調査国内の読書率・購買率ともにトップだった。だが日本人の多くはイタリアの出版・読書について何も知らない。イタリア出版者協会(Associazione Italiana Editori, AIE)の各種調査から知られざる読書大国・イタリアの実態を紹介したい。 イタリアの書籍市場まず書籍市場の動向だが、2024年は半期で6.76億ユーロ(約1000億円)で、ここ数年はインフレを考慮しても安定している。Nielsen BookScanによる年間の売上は年間約16.97億ユーロ(約2748億円)なのでニールセン調べの方がやや上振れしているのだが、こちらも安定を見せている。なお電子書籍は8000万ユーロ(130億円弱)、オーディオブックは2800万ユーロ(約45億円)
昨日から今朝にかけて、ゲンロンの三宅香帆さん・松田樹さん・森脇透青さん・植田将暉さんの批評イベントのアーカイブを見た。感想はいろいろある中でこれを最初に言うのは自意識過剰かもしれないと思うんだけど、マジでこの批評の文脈で私の名前を出されるのが意味わかんないなと思いました。以下はその「名前の出され方」に関する殴り書きです。イベント全体の感想に関しては特に言及していません。 shirasu.io ・2時間30分前後くらい、「女性的な文体の文芸批評家が文芸誌に集まっており、男性的な書き手はコンテンツに言及せず哲学の方にいる。文学/哲学の書き手が交差しない」という森脇さんが提起した文脈で、前者として植田さんが私と水上文さんの名前を挙げたと思います。そこで植田さんが「高島さんは文芸誌に書いてるのか知らないですけど……」と言っていて、いやそこが分からないならその文脈で名前を出す意味もなくなりますよね?
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