以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Antiusurpation and the road to disenshittification」という記事を翻訳したものである。 Pluralistic 90年代の若者たちが仲介者の排除を約束するインターネットに胸を躍らせたのも無理はない。文化や政治、そしてあらゆる機会へのアクセスを牛耳っていたゲートキーパーたちは、とにかく腐敗しきっていたし、最悪の連中だった。 確かに一時期、我々は仲介者のいない世界を実現した。その結果、様々な声、アイデア、アイデンティティ、趣味、ビジネス、そして社会運動のための、大きく、奇妙で、多様な空間が生まれた。中にはおぞましいものや、ただの馬鹿げたもの、あるいはその両方だったものもあったが、あの古き良きインターネットには本当にクールなものがあふれていた。 だが、その至福の時はほんの一瞬で終わってしまった。代わりに現れた新た
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