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吸江寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吸江寺
本堂と高知平和パゴダ
所在地 〒781-8126
高知県高知市吸江132番地
位置 北緯33度32分50.4秒 東経133度34分15.1秒 / 北緯33.547333度 東経133.570861度 / 33.547333; 133.570861 (吸江寺)座標: 北緯33度32分50.4秒 東経133度34分15.1秒 / 北緯33.547333度 東経133.570861度 / 33.547333; 133.570861 (吸江寺)
山号 五台山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 如意輪観世音菩薩
創建年 文保2年(1318年
開基 夢窓疎石
別称 海南の名刹、吸江庵
文化財 木造地蔵菩薩坐像(国の重要文化財
吸江庵跡(県史跡)
法人番号 1490005000961 ウィキデータを編集
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吸江寺(ぎゅうこうじ)は高知県高知市にある臨済宗妙心寺派仏教寺院

歴史

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文保2年(1318年)、夢窓疎石北条高時の母・覚海尼による鎌倉への招請から逃れるために四国に渡り、土佐国五台山の山麓に結んだ草庵を起源とする[1]。夢窓が草庵の前に広がる浦戸湾を「吸江」と命名したことで、草庵は吸江庵と称されるようになった[1]

疎石は2年余りで吸江庵を離れたが、義堂周信絶海中津などによって引き継がれた[1]

夢窓が足利尊氏の政治顧問に就いたこともあって、室町幕府の厚い庇護の下に隆盛し、海南の名刹と呼ばれた。室町時代には長宗我部氏が代々当寺の寺別当を務めた。江戸時代の慶長6年(1601年)には、土佐藩主山内一豊の命を受けた義子の湘南宗化により中興され、このとき寺号を吸江寺と改めて現在に至っている[1]

文化財

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重要文化財(国指定)

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その他

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  • 足利義持扁額
  • 夢窓国師扁額
  • 絶海扁額
  • 吸江寺古文書
  • 達磨像

交通アクセス

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  • はりまや橋よりとさでん交通「前浜」行きバスで「南吸江」で下車、徒歩5分。

周辺情報

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脚注

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  1. ^ a b c d 広谷 喜十郎. “高知港(浦戸)の「みなと文化」”. 一般財団法人みなと総合研究財団. 2023年2月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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