Content-Length: 106167 | pFad | http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E4%BA%95%E5%95%93%E4%BB%8B

園井啓介 - Wikipedia コンテンツにスキップ

園井啓介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
そのい けいすけ
園井 啓介
本名 園井 啓介
生年月日 (1932-03-27) 1932年3月27日(92歳)
出生地 大日本帝国の旗 東京府東京市浅草区
(現・東京都台東区浅草
活動期間 1954年 - 1975年
テンプレートを表示

園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は、日本の元俳優テレビドラマへの出演を通じ、孤独と哀愁をたたえたマスクで多くの女性を魅了した[1]

来歴・人物

[編集]

東京市浅草生まれ。本名・永井之弘。1950年(昭和25年)、東京都立工芸高等学校木材工芸科を卒業して新東宝美術部に入り、映画装置の助手を務める。1953年(昭和28年)に劇団青俳の国民文化研究所演劇科に入り、1954年(昭和29年)青俳に入団、テレビ番組に初出演し、1957年(昭和32年)からNHK刑事部屋物語』、日本テレビ見事な娘』などに出演。1958年(昭和33年)、青俳を退団、フリーとなってNHK『事件記者』に山崎記者の役で出演、人気を集める。1959年(昭和34年)、日活映画『事件記者』に同じ役で出演、1962年(昭和37年)松竹と契約、TBSテレビのドラマ『あの橋の畔で』の映画化で主役に起用され、桑野みゆきを相手役に二枚目を演じる。1965年(昭和40年)、松竹を離れ、TBS『木下恵介劇場・二人の星』に主演したのち、1968年(昭和43年)のTBS『おやじ太鼓』などに出演し地位を固める。『セブンショー』の司会としても活躍。

1973年(昭和48年)、19歳下の新川なが子と結婚。同年10月5日、の売買で得た所得2億1360万円を申告せず、1億6000万円の所得税脱税した疑いで東京国税局に追加納税される。1974年(昭和49年)、東京地検特捜部に起訴される。1975年(昭和50年)東京地裁で、懲役10ヶ月、執行猶予2年、罰金2500万円の判決を受け、芸能界を引退した[2]

出演

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

CM

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、110頁。ISBN 9784309225043 
  2. ^ 『日本映画人名事典 男優篇』
  3. ^ 『ACC CM年鑑'61/'62/'63』(全日本CM協議会編集、三彩社、1964年 62頁)

外部リンク

[編集]








ApplySandwichStrip

pFad - (p)hone/(F)rame/(a)nonymizer/(d)eclutterfier!      Saves Data!


--- a PPN by Garber Painting Akron. With Image Size Reduction included!

Fetched URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E4%BA%95%E5%95%93%E4%BB%8B

Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy