楊貴妃は唐・玄宗皇帝の愛姫だった。しかし反乱軍に追われて逃げる際、「災いはすべて、楊貴妃のせい」と主張する護衛の兵の要求で、玄宗皇帝は泣く泣く楊貴妃に「死を賜(たまわ)った」とされる。ところが、日本の山口県長門市油谷久津には、楊貴妃が漂着したとの伝説がある。「楊貴妃は実は逃げのび、船で日本に渡った。漂着したのが当地」というものだ。
同伝説は、中国でもときおり紹介されている。そして中国中央電視台(中国中央テレビ、CCTV)は2002年、楊貴妃の死の謎を追究した番組で「山口百恵はかつて、自分は楊貴妃の子孫と発言したことがある」、「彼女の祖先の出身地は、楊貴妃が漂着した伝説がある土地」と紹介した。番組キャスターは「山口百恵が楊貴妃の子孫と断定するのは、いきすぎだが」と追加したが、中国人ファンらは、「もしかしたら」と色めき立った。その後も時おり、山口百恵さんが「実は、楊貴妃の子孫」とささやかれることがあるという。
2010年7月なり、新華社が運営するウェブサイトの新華網が改めて、「山口百恵は自ら、楊貴妃の子孫といったことがある。似ているでしょうか」との見出しで大きな写真と文章を掲載し、山口百恵に「楊貴妃の風格があるでしょうか」と読者に問いかけた。
同文章の掲載を受け、上海サーチナのウェブサイト「新秦調査」は「あなたは、山口百恵が楊貴妃の子孫ということを信じますか」とのテーマでアンケートを実施した。
楊貴妃は、中国史上「四大美人(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)」のひとり。一方の山口百恵さんは、日本を代表するスターと考えられている。日本事情に詳しい中国人によると、「いくらなんでも、山口百恵が楊貴妃の子孫と本気で信じている人が2割以上いるとは思えない。『もしそうだったら、おもしろい』との遊び心で回答した人が多いのではないか。『分からない』が3割以上なのも、同じことだろう。いずれにせよ、百恵さんが中国人に与えたインパクトが極めて大きい証拠」という。(編集担当:如月隼人)
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