[足音 2月 内灘町北部]合同保育 帰れる日まで
完了しました
19日、内灘町の
「先生、これ見て」「一緒に遊ぼう」

3月に卒園を控えた年長クラスで、中井和美さん(51)も一緒にあやとりをしていた。
ここにいる0~6歳児計148人のうち10人は、北部保育所の子どもたちだ。中井さんは北部の所長を務める。
西荒屋地区にある北部保育所は、昨年の元日の地震による液状化で地盤がずれ、全壊した。室内ホールの床や建物周辺のコンクリートが隆起し、子どもたちの遊び場だった隣の公園にも亀裂が入った。
災害時でも預かりのニーズはなくならない。1月6日、中井さんは当時いた20人を連れ、約7キロ離れた向粟崎保育所の1部屋を借りて再開した。
「北部が地震で使えなくなったから、ここで一緒に遊ぼうね」。両保育所の子ども全員を集めて説明すると、「はーい!」と元気な声が返ってきた。「子どもの順応性の高さに改めて驚いた」と中井さんは振り返る。
とはいえ変化に敏感な子もいて、朝、母親と離れることを嫌がる場面もあった。職員たちは使い慣れた机、着せ替え人形やパズルなどのおもちゃを、北部から車に載せて部屋に運んだ。ここもみんなにとって安心できる場所にしたい。その一心だった。
4月、保育所ごとに別々だったクラスを年齢別に再編成して合同保育を始めた。引っ込み思案だった子が自分から友達と関われるようになった。「大勢の仲間と一緒に過ごすことがいい刺激になっている」と中井さんは感じている。
年明けには北部保育所の解体工事が始まり、建物は姿を消した。別の場所で再建する予定だが、時期の見通しは立たず、合同保育はしばらく続きそうだ。
金沢市に近く、子育て世代が多く暮らす向粟崎に比べると、西荒屋は古くからの住宅が並ぶ。地震前、子どもたちをかごに乗せて散歩へ連れ出すと、顔なじみのお年寄りが「こんにちは」と優しく声をかけてくれた。
いつ帰れるか分からないが、預かっているのは町北部の未来を担う子たちだ。「毎日笑顔で過ごすって本当に大事なこと。どんな状況でも楽しく元気でいてほしい」と中井さんは願っている。(平松千里)