日本にルーツを持つアジャイルが、なぜ日本企業では機能しない(しにくい)のか、という長年の疑問に対して、渡辺雅子さんの「論理的思考とは何か」という書籍がヒントになるな、と思ったで紹介します。
「アメリカにおける経済領域の論理的思考を前提としたアジャイル」を「日本の社会領域の論理的思考を前提とした企業に適用する」には、アジャイルの外側に「チームと組織が価値観とすり合わせる時間」を作る必要があると思うのです。
論理的思考とは何か
本書の主張は「一般的に『論理的思考』を言われているものは、世界共通ではなく、その国の文化に大きく影響を受けている」というものです。特に初等教育における作文教育や歴史教育が影響しているそうです。この論拠や実例については書籍をぜひ読んでいただければと思います。
で、国と論理的思考の違いをまとめたのが以下の図です。本記事の文脈で注目すると、アメリカでは「経済領域の論理的思考」が優位で、日本では「社会領域の論理的思考」が優位になるそうです。
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アメリカで最も優位である経済領域の論理的思考とは、
効率的に最大限の収益を上げることを目的とする。その目的のために、計算に基づく比較考量により、複数の選択肢の中から効率的かつ費用対効果(コストに対する利益)の高い手段を選ぶ - P59
一方で、日本で最も優位である社会領域の論理的思考とは、
それぞれの価値観に基づき行動する個人から構成される社会が統制と秩序を保つためには、他者への共感を通して、明文化されない緩やかな価値のもと、その価値にて企業すると考えられる態度や行動を「状況に応じてその場その場で」個人が選択する道徳心が求められる。価値の到達のための手段には様々な行為が考えられるが、その行為によってどれほど価値が達成されたのかの客観的な評価は困難なため、目的の達成よりも、価値に向かう正しい「態度」や「意欲」が重視される。 - P61
と記載されています。
特に手段の選択における合理性に注目すると、
- アメリカは「手段は、決定済みの目的に対して最も効率的なものを選ぶ」のが合理的
- 日本は「手段は、目的の裏側にある価値基準に整合したものを選ぶ」のが合理的
となります。
大事なことは、どっちも合理的な判断であり、その違いは文化的な背景によって発生している、ということです。
仕事現場での論理的思考
日本であっても仕事現場では経済領域における論理的思考が必要とされるので
- 目的の達成に向けて手段を選ぶ
- 結論(意見)から伝える、それを客観的な事実で補足する
みたいなことが重視されます。しかし、一方で日本では社会領域の思考回路が影響するため、
- やる意味を理解し、そこに向けて頑張った経験が糧になる
- 目的が曖昧になりやすく、自分の意見と事実が混ざる
と言うことが起きてしまいます。
日本では「合意形成(コンセンサス)型の意思決定」が行われますが、これも「目的」よりも「組織の価値観」を優先し、組織としての安定性を目指す仕組みであり、結果的に短期的な大きな変化が苦手、という側面がありそうです。
日本でアジャイルが機能しない理由
この論理的思考の違いを前提にすると、アジャイルが日本で機能しない理由も分かりそうです。
例えば改善(kaizen)という「PDCAで少しずつ良くしていく」という行為であっても
- 日本の改善は、組織の価値観を前提にプロセスを安定化するために変えていく内向きな行為
- アメリカのKaizenは、市場で勝つという目的のために、最適な手段を変えるための外向きな行為
となります。
アジャイルの原則は、当然、経済領域の論理的思考を前提にしています。
- 社内よりも顧客満足度(市場の評価)を最大の指標にする
- 小さくリリースし、市場でフィードバックを受けること重視する
- 定期的に(強制的に)振り返ることで手段の変更を促す
ところが、日本では社会領域の論理的思考も重視される為、以下のような前提が影響します。
- 組織の価値観と大きくズレることはできない
- 組織の価値観に合わないとリリースできない
- 組織の価値観は簡単には変えられない
この「価値観」というのが曲者で、「目的」よりも曖昧で明示されないゆえに「目的に最適な手段を選択しても、社内の事情(価値観)で拒否させる」とか「部署によって判断基準が揺れている」といったことが起きます。
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ただし、社会領域の論理的思考は組織が持続し、長期的な変化への対応には寄与します。また、短絡的な成果主義にはならないので、成果に結びつかなくてもメンバーの経験として許容されたり、逆に真に組織の価値観まで結びつけば、非常に大きな成果に繋げられる可能性もあります。結果だけを追い求めないことは、悪いことばかりではないでしょう。
社会領域の合理性を意識した解決策
では、日本企業においてアジャイルを推進するにはどうしたらいいでしょうか?特にスクラムについて考えてみます。
「日本企業も経済領域の論理的思考で動くべきだ!」と言うのも一理ありますが、僕としては社会的領域の論理的思考を前提としたアジャイルの導入法を考えたいところです。
そこで考えたのがスクラムの活動の外側で「チームと組織が価値観をすり合わせる時間を作る」ということです。
結果が全てならスクラムがうまくいく
スクラムの推進において「チームに権限を委譲し、意思決定をスピーディーにする」のは「結果が全て」という前提に成り立ちます。よって「結果が全て」にできる領域ではスクラムが機能します。
大手企業でもECサイトのように結果となるKPIが明確で、その向上が企業として適切な重みがあるケースでは問題ありません(ちなみにECサイトであっても「結果が全て」でないケースでは適用できません)。
しかし、結果評価が曖昧な場合、日本ではチームが目的を最優先に独走すると組織の価値観とのすり合わせができず、結果として組織に動きが阻害されます。たとえば誰かと合意した要件が別の誰かに覆されたり、最後に誰かの反対でリリースがなかなかできないといったことが起きるのです。
チームと組織の価値観をすり合わせる
これを避けるには、スクラムを含めたプロセスの中で「チームと組織が価値観とすり合わせる時間」を作る必要があります。
スクラムの教科書で言えば「スプリントレビューに関係者を呼んでやれ」でしょうが、それなりの規模の企業になると意思決定層には意思決定層なりの仕事の流れがあるので簡単に日程調整ができませんし、そもそも、レビュー会に出て欲しい訳でもありません(余計なことを言われても困るし)。
大事なのはスプリントプランニングの前、スクラムの外側にある合意形成です。
その合意形成の場では、プロダクトに関係する責任者が出席した状態で「目的と、手段の概要」と「優先順」を共有することでチームと組織が価値観とすり合わせを行ないます。その2点が合意できれば、あとはスクラムの領域です。
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この場の実施サイクルは、プロダクトの分野や重要度によって異なりますが、基準は毎月開催でしょう。プロジェクトの立ち上げ期は隔週にすることをお勧めします。大事なのは、合意形成の場は「議論をする場」ではなく「価値観を組織の中で確認する場」です。そのための根回しは日々やっていく必要性があります。
「あれ、それってウォーターフォールのステコミ(ステアリングコミッティ)ですよね?」と言われれば、半分正解です。ステコミの日付から逆算して様々な調整を行うのはプロジェクトとして有効な手法です。組織の意思決定でも、スプリントと同じような定期的なリズムを作るのは効果的なのです(「ステコミでは問題が把握できない」のは、ステコミという仕組みの問題ではなく、運用の問題です)。
最後に
僕の主張は「スクラムを日本企業に合わせてカスタマイズしろ」というよりも「日本の組織がスクラムを使いこなすためには、スクラムの外側に価値観をすり合わせるためのプロセスが必要だ」というものです。そして、その理由はアメリカと日本の論理的思考の違いであり、その起因は文化的な背景に過ぎません。
以前から、このような「スクラムの外側で組織とチームの合意形成の場を作る方が、スクラムが機能する」という取り組みを色々な企業で実践してきたのですが、それが効果を発揮していた理由を理解することができた気がします。
残念ながら、日本は21世紀になってから大きく成長できませんでしたが、世界が日本から学び、アジャイルを生み出したように、日本も世界から学び、新しいマネジメントスタイルを生み出せばいいと考えています。