「鎌倉管領家記録』については「国書総目録」に記載がないため実在に疑問があり上記の信憑性については注意が必要。 江戸時代、寛永20年(1643年)の料理書『料理物語』では「汁の部」において「冷汁」が紹介されている[4]。これは具としてモズク、海苔、栗、ショウガ、ミョウガ、蒲鉾、あさつきなどを入れたもので、煮貫(にぬき=味噌味のめんつゆ様の調味料)で仕立てた一種のあえものであった。 銀座・岩戸で供される宮崎県の冷や汁 現在「冷や汁」(宮崎県では基本的に「ひやしる」と呼ばれている)と呼称される料理の中では、宮崎県の冷や汁が『鎌倉管領家記録』の冷や汁に一番近いものとされる[1]。元々は「農民食」「陣中食」と呼称された[5]。忙しい農家の食事として、簡単に調理でき早く食する目的の料理であったが[5]、第二次世界大戦以降に各家庭で工夫し手間のかかる料理へと移行していった[5]。昭和40年代までは宮崎平
