首都圏の中学受験の最も熱い日々が終わった。不合格をもらえば傷つく。でも、不合格をもらうことは、中学受験の失敗を意味しない。中学受験は合格発表で終わりではない。そこから、決して楽ではなかった中学受験という親子の大冒険物語のエピローグが始まるのだ。
2024年初夏、娘の中学受験を終えていわゆる「中学受験ロス」の状態に陥った母親のTさんに、「傷つき」からの回復の物語を聞いた。
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朝起きると、雪が降っていました。2月5日、第二志望に3回目のチャレンジです。手応えはあったようです。すべての入試が終わりました。
結果は不合格でした。でも娘は涙一つ見せませんでした。思い返せば、これだけ過酷な5日間を経験したのに、一度も涙を見せませんでした。取り乱すこともありませんでした。この子、強いなって思いました。
と同時に、いままで自分の中に押し込めてきた負の感情があふれ出します。志望校に関して、娘の意向を尊重しすぎて、強気の併願戦略を組んでしまったことを悔いました。
「これだけ一生懸命やっても、中学受験のルールではこの程度の学校にしか合格できないのならば…」
娘が熱望した第一志望は偏差値62。明らかに高嶺の花でした。私が本命だと考えていた第二志望の入試結果は、合否ラインギリギリの点数でした。2月1日に受けていれば受かっていたかもという悔いがこみ上げます。3日と5日に比べると、1日は偏差値が2~3低いんです。3回目の挑戦でようやく合格を手にした第四志望は偏差値50です。
<Tさんの中学受験結果>
2月1日
午前 第一志望 ×
午後 第四志望 ×
2月2日
午前 第二志望 ×
午後 第三志望→第四志望 ×
2月3日
午前 第二志望 ×
午後 第四志望 ○ → 進学
2月5日
午前 第二志望 ×
これだけ一生懸命やっても、中学受験のルールではこの程度の学校にしか合格できないのならば、さっさと諦めて高校受験に切り替えたほうがよかったのではないか。いや、いまからでも、第四志望進学を諦めさせて、公立中学に進学させ、高校受験でリベンジさせたほうがいいのではないか……。そんなことまで考えていました。
もっと親が主導して、もっとうまく誘導していれば、結果的にどこかもうワンランク上のレベルの学校に行けていたのではないかという考えが脳裡をよぎります。
制服採寸の日も、「なんで私たちはいまここにいるんだろう?」と、おそらく私だけ一人、暗い気分でいました。暗い、暗い気分でした。何を見ても真っ黒に見える状態。私の心のオセロの盤面は、真っ黒になっていたのです。