「東京府北豊島郡巣鴨町」時代のマンホール蓋は下記の記事で紹介したことがある。
「東京府北豊島郡西巣鴨町」時代のマンホール蓋も現存している可能性があることが分かった。
調査してみると、ストビューでは行けないところにあったので、航空写真で見てみた。
たぶん中央付近にある白い四角に覆われているものがそうだろうと当たりを付けた。
2026年2月6日、探索隊を派遣する。
そこは以前も上り下りしたことのある階段だった。
興味がないというのは恐ろしい。
足元にこんな貴重なものがあったのに、目に入らなかったのだ。
撮影秘話というほどのものではないが、この狭い階段、結構人通りがあり、これだけの写真を撮るのにずいぶん時間がかかった。
階段の上から
マンホール蓋がある踊り場から
周囲には4個巻の縁石
縁石の幅は約15cm、角の太い部分は約19cm
大きさ約67㎝
紋章部分
直径約9cm
ふと目をやると、ここからサンシャインシティが見えた。
この先は私有地になっているので、撮影する方はご配慮を。
一番下まで降りた階段下から
それほど急な階段ではないが、足腰が弱い方は・・・、あっ、マニアの方には弱い方はいないよね。
歴史
1873年(明治6年)
大区小区制により巣鴨村、新田堀之内村、池袋村は大塚辻町、巣鴨仲町、巣鴨原町、その他本郷区、小石川区に属した諸町と共に第九大区二小区となる(戸長は大塚仲町)。
1878年(明治11年)11月
大区小区制が廃され、郡区町村編制法により北豊島郡が設置される。郡役所は板橋町内に設置。
その後、連合戸長役場が設置され、巣鴨村、新田堀之内村は小石川村との三ヵ村連合と(連合戸長役場は巣鴨村)、池袋村は金井窪村、中丸村との三ヵ村連合となる(連合戸長役場は池袋村)。
1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、巣鴨村は一部を巣鴨町に譲り、残りの大半を新田堀之内村の全域と池袋村の飛地を除く大半及び堀之内村の飛地と合併し、巣鴨村となる。