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幕府の末期のこと。一般には江戸幕府の末期の時代を指し、1853年のペリー来航から、1868年の明治改元までをいう。
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慶応元年六月二十七日(1865/8/18) 琉球 次郎はニールの言葉を聞いて深く考え込んだ。 イギリスから正式な調査団への協力があったのは事実である。しかしそれ以前の非公式な動きを日本側が情報を秘匿していたのもまた、事実なのだ。 もっとも情報の重みにはかなりの差がある。日本の先遣調査隊派遣の情報と、イギリスが秘匿した港での銃撃戦では雲泥の差があるのだ。「ニール殿の言葉には一理あります」 次郎は静かに口を開いた。「しかし、それでもなお疑問は残ります。貴国が独自に判断して情報を秘匿したのは、協力の精神に反するのではないでしょうか」 ・二人は生麦で薩摩藩の行列に対して発砲した恐れがある(あくまでも『…
慶応元年六月二十六日(1865/8/17) 琉球 次郎の言葉が、重苦しい空気の中に響く。 その意味するところを、3人の英国人は瞬時に理解した。これは単なる事情聴取ではない。彼らの立場を左右する重大な場であることを、改めて認識したのだ。 オールコックは無言のままじっと次郎を見つめているが、経験からこの状況の重大さを察知している。 一方、ニールは汗を額から拭いながら言葉を探している様子だ。パークスは表情を変えず、ただ静かに座っているが、その内面では様々な思考が駆け巡っているに違いない。 「私は……」 ニールが口を開く。「私は、自分の行動に……間違いはなかったと考えています。あくまで、国益にそって行…
慶応元年六月二十六日(1865/8/17) 琉球「パークス領事、あの時あなたも首をかしげていたではありませんか。なぜ英国人の仕業だとわかるのだ、と」 ……確かに。 パークスはアーサーと交わした会話を思い出す。「……」 YesともNoとも言わない。現状では思い出すフリをするのが賢明だ。オールコックは依然として無表情を装っているが、ニールはそれ以上言わないでくれと言わんばかりの顔である。「もうひとつ」 アーサーはそう言って、もう1通の文書を取りだしてテーブルに広げた。 ――上海 英国領事館 ハリー・パークス領事殿 先日お伝えした生麦村事件に関し、追加の要請があります。 日本政府は事件関係者への聞き…
慶応元年六月二十六日(1865/8/17) 琉球「! ア、アーサー、君なのか! よく、よく生きていたな」 パークスは目を疑い、驚きと喜びの感情が入り混じる。 上海で巻き添えを食って死んだと思っていた領事館員のアーサーが、目の前に立っていたからだ。 アーサーはパークスから将来を嘱望されていた人材であり、信頼されて|紅幇《ほんぱん》の行動を監視するよう命じられていたのだ。それがまさかこんな結果になるとは……。 アーサーの突然の登場に、会場の空気が凍りついた。パークスは言葉を失い、次の言葉が出てこない。オールコックとニールは眉をひそめてその新たな同席者を見た。 2人はアーサーとは面識がない。パークス…
慶応元年六月二十六日(1865/8/17) 琉球 「オレはオールコック! あんたに言われてやったんだぞ! 銃もあんたが用意した! どうやるかっていうシナリオまで、準備していたじゃないか。サツマだったのは偶然だが、あんたが親玉だろうが!」 オールコックに免罪を条件に生麦事件の誘発を命令された、ビル・スレイターである。 「黙れ、スレイター!」 ニールが怒声を上げて拳を机にたたき付けた。 オールコックは少し驚いた様子だったが、冷静にニールとビルのやり取りを傍観している。周囲の列国公使・領事たちは一斉に身を乗り出し、ロシア領事は『これは面白い』とつぶやきながら冷笑していた。 「お前は何を言っている! …
本記事はアフィリエイト広告を利用しています 記事内に商品プロモーションを含む場合があります 今回は幕末アーカイブ記事です ご興味無い方にはごめんなさいです・・・ 大阪商工会議所の脇に建つ 【五代友厚像】 (一番左) 東に渋沢、西に五代あり でしたかな? 渋沢栄一と並び称される大阪の財界の大物 五代友厚はご周知、薩摩藩士にて天保6年(1836)の生まれで龍馬と同い年でしたね 大阪造幣局を誘致したり、大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所の基となる)を設立する等・・大阪の発展に大きく寄与した幕末の人物として知られています 近年では朝ドラ?か何かでディーンフジオカが五代友厚を演じ、「五代さま」として大…
慶応元年六月二十六日(1865/8/17) 琉球 予定していた9月1日~15日よりも2週間早く、証人喚問が行われた。 イギリス側としては一刻も早く実施して心証を良くしようとの考えだったのだろうが、次郎をはじめとした日本側は動じない。 証人喚問は当然の事である。 これが滞りなく行われたとしても、日英関係が元通りになるわけではない。事実が解明されてイギリスの所業が白日のもとにさらされても、|元《・》|に《・》|は《・》戻らないのだ。 次郎は日英通商修好条約はもちろんだが、和親条約すらすぐに結び直す(復活)つもりはない。 なぜか? 国内感情的には外国との条約はそもそも必要がなかったからだ。それに今は…
YouTubeの広告に出てきました。 AIカラー着色ですかね。 suzuri.jp 池田長発(いけだ ながおき)に関してはこちら。幕末期の旗本で、幕府使節として海をわたった人です。 ja.wikipedia.org では。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★ クリックお願いいたします。 ランキング参加中【公式】2024年開設ブログ にほんブログ村 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★
戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。 sengoku-his.com 今回の掲載コラムご紹介は「幕末の下諏訪宿にやって来た歴史上の人物たち」です。 戦国ヒストリーへの投稿コラムのなかで、時々「ご当地もの」を書いています。住んでいる諏訪地方は歴史的にもなかなか面白い地域であり、コラムのネタには欠かないといってもいいでしょう。 なかでも下諏訪宿は、諏訪大社下社のおひざ元というだけでなく、中山道の宿場町であり、甲州街道(甲州道中)の終点にもあたります。中山…
慶応元年五月一日(1865/5/25) 生麦事件における隠蔽問題や敗戦の責任をとって、パーマストン内閣は総辞職した。 続いてエドワード・スミス=スタンリーを首班とする、第3次ダービー伯爵内閣が圧倒的多数の議席で発足したのである。 第1次、第2次内閣は少数与党で短命であった。しかし今回の政権は過半数どころか3分の2以上の議席獲得で、庶民院・貴族院ともに多数派である。 「それで、|吃緊《きっきん》の課題は日本の要求である証人喚問だが、上海の状況はどうなのだ? オールコック前公使とニール前代理公使の所在は? 上海のパークス領事は応じるのか?」 ダービーは外務大臣で息子のエドワード・ヘンリー・スタンリ…
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