はじめに
2月21日は国際母語デーということで、まつーらとしおさんの呼びかけもありましたし、私の母語であるウチナーヤマトグチに関する思い出について書いておきます。
この先の内容はすでに何度かX(旧Twitter)に書いたことなのですが、ブログ記事としても書いておいた方が良いだろうと思っていました。
なお、ウチナーヤマトグチがどのような言語かということについては下記の下地理則氏の記事が詳しいです。私の過去のX(旧Twitter)での投稿にもこの記事に触発されたものがあり、おすすめです。
このブログでもときどき沖縄については書いています。気になる方は下記のカテゴリーをご覧ください。
研究者から投げかけられたことば
沖縄県沖縄市で18歳(高校卒業)まで暮らして、その後はずっと関東に住んでいます。
私自身は沖縄のことばに興味があったから言語学、日本語学の研究の道に進んだわけではなく、大学院生になってから「沖縄生まれだ」と言うとそのことばにここまで興味を持たれるのかというのに驚いたくらいです。
そういう場合、「〜って言うの?」とか「こういう特徴ってほんとうにあるの?」とかの質問がほとんどでしたが、今でも忘れられない思い出として(おそらく一生忘れません)、何人かのけっこうキャリアのある研究者の方からウチナーヤマトグチの話者だということに対して「あれはきれいな方言じゃないからなあ」というような類のことを言われてショックを受けたことがありました。
当時は私も大学院生でしたし、相手はこちらが恐縮するようなキャリアの研究者であることがほとんどだったこともあって固まってしまって何も返答ができなかったのですが、それでも内心では「言語学の研究者って言語に関する規範とか価値評価の判断には慎重なんじゃなかったのかよ」というようなことを思っていました。と同時に、私自身も他者の言語に対して無邪気に「(変わっているという意味で)面白い」と言ってしまったこともあるなあというようなことについて考えさせられました。
沖縄のことば以外でも、日本語の研究者がたとえば若年層の方言などに対して「きれいじゃない」というような意味のことを言っているのも聞いたことがあるので、それほど珍しいことではないのかもしれません。
被調査者としての体験
私にも研究のキャリアが付いたからなのか、上に書いたようなことを言うこと自体が日本語研究界で減ってきたからなのか、大学院修了後はそのような経験はなく、忘れてはいなかったものの、そのときの印象は薄れつつありました。
このことについて思い出させてくれたのは、数年前の、ウチナーヤマトグチの話者として被調査者になった体験です(このときがはじめて)。
これは嫌な思い出がよみがえったとかそういうことではなく、私の母語は研究調査の対象になるような1つのことばなのだということを強く実感できたのですよね。ここで、これまで理屈としてはそう考えてきたものの、心のどこかでは自信が持てていなかったのかもということにはじめて気付きました。ちょっと大仰に言うと、この体験で自分の母語に対する誇りとか尊厳といったものを回復できたのだと思います。
ただこの背景には、私自身が持っている言語研究とその調査方法・調査対象に対する価値判断があると思うので、これを一般化しないようにという点にも気をつけています。
あと実は、自分にもウチナーヤマトグチの内省判断できそうというのをある程度実感できたのも意外でした。調査の依頼を引き受けはしたものの、ずっと関東に住んでいるとウチナーヤマトグチを使う機会があまりなくて容認性・文法性判断にそこまで自信が持てていなかったのですよね。
おわりに(おまけ)
むかし「ワンナイ」というテレビ番組でガレッジセールが沖縄のことばでやるコント(「笑っていいとも!」のパロディ)をやっていました。
あれ自体も大好きだったのですが、いつかYouTubeか何かで偶然見つけた、沖縄のホストのコントがすごくて、ちゃんと沖縄の(当時の)若者が使いそうなウチナーヤマトグチベースの言葉づかいでやってたんですよ。「笑っていいとも!」のパロディで使っていた伝統寄りの言葉づかいとの差なんて沖縄のことばにかなりなじみのある人以外分からないと思うのですが、そこまでやるのはすごいなと。ただあれたぶん違法アップロードだったんじゃないかなあ。YouTubeで検索しても、生成AIに探してもらってもうまく出てきません。「ホスト」辺りの設定が私の記憶違いなのかもしれませんが…