ニューロサイエンスや分子脳科学といった学問分野がどのようにして成立していったのかから始まって、マウスに「存在していない記憶を植え付ける」ことに成功する現在までを駆け足にみていくコンパクトにまとまった本だ。マウスへの実験が成功したからといって人間に適用できるわけではなく、そこの隔たりは大きいのだが、少なくとも一例・理論上は可能な可能性もあるということで、大きな前進ではある。
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- 作者: 井ノ口馨
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日: 2015/06/24
- メディア: 単行本
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だから、まあ、実際のところ凄く複雑な事象ではあるんだろうが、還元してしまえば脳の働きは、思考は、記憶は、電気信号である。「存在していない記憶を植え付ける」実験も、この電気信号・より具体的にいえばイオンチャンネルを特定の神経細胞に強制発現させることで、神経細胞をピンポイントで自在に興奮させる技術からきている。記憶誤認実験では、まずマウスを「丸い部屋」に入れて、隅から隅まで探検させその記憶を定着させる。その後、四角い部屋に入れて、即座に電気ショックを与える。
移動した直後に電気ショックを喰らうので、部屋が四角いとかそういう記憶は存在していない。故に、また四角い部屋に入れられても特に反応することはない。実験では、丸い部屋にいたときに活動した神経細胞集団と、ショックを受けた時に活動した神経細胞集団をそれぞれ特定し、海馬に刺入した光ファイバーをつかって強制的に二つの神経細胞集団をオンにする。するとマウスは丸い部屋に入れられるとすくみ反応を起こすようになったのだという。恐ろしい実験だが、たしかに効果はあるようだ。
人間に適用できるかといえば──、単純に応用できるものではない。人の脳には140億個の神経細胞があり、その1つに千から万のシナプスがぶら下がって、組み合わせが無数にある。記憶が常に同じ神経細胞集団をオン・オフすることで想起されるわけではないだろう。再現性は科学の肝ではあるが、特に脳科学系の専門家の人はその脳の予測不可能性・複雑性を前にして「再現性を肝とできない分野もある」という。それもいずれ、量子力学等の新たな知見の元法則性が見いだされるようになっていくのかもしれない。本書でもそのあたりは「やはり脳はわからないことだらけなのです。」と締めている。その道三十年にもなろうかという著者の言葉だからわからないという言葉も重い。
SF的だなあと思って手にとってみたけれども、ネタ元としては充分な出来。