漫棚通信で書かれていたこの話題。
青春彷徨と転落の物語『かくかくしかじか』『アオイホノオ』: 漫棚通信ブログ版
ぼくやつれあいも、この2作を並べて考えた。
『かくかくしかじか』は、東村アキコの自伝的物語で、2巻は美大に合格してからの話。なーんも描けない。その苦しみをこれでもかというふうに描いている。
他方、島本和彦の『アオイホノオ』も島本の自伝的物語。最新巻では、自分で作ったフィルムを、同じ芸大のたくさんの学生たちに自主映画上映会で批評されるシーンを描いている。けっこうカッコよく作ったと自負していたアニメだったのに視聴者は無反応。次の学生の作品が始まり「牛丼のアップに『きょうの料理』のテーマ」が流れる。視聴者爆笑。
自分の作品の無反応ぶりとの対比が鮮やかになっただけでなく、主人公は“この爆笑は俺への攻撃的な批評だ”とさえ受け取る。
美大や芸大って恐ろしいところやわー、とつれあい。
なぜって、努力ではカバーできないような、次元の違うセンスを見せつけられ続けるから。シロウトとは違う、あるいはカビの生えた専門家とも違う、若くて、容赦のない批評眼が注がれ続ける空間って、想像するだけで息がつまりそうだと。
2作は同じような感じがするけど、島本は、自分の体験を徹底的に客観視して、笑いと凄みに変換してしまっている。対して東村の方は、シリアスで、叙情的な分だけ、傷がまだ癒えていないのかと感じさせる。「先生」しか出てこない。他の美大生とのかかわりがいかにも薄い。もうちょっと、他の人の才能や作品をみて感じたことがあるんじゃないの、それで描けなくなったってところがあるんじゃないの、そのへんをまだあんたは書いてないでしょう。
完全に余計なお世話だけど。邪推された方はいい迷惑だけど。
2作が近くに並んで出ただけに、こういう邪推をする楽しみがある。