Content-Length: 279009 | pFad | https://q.hatena.ne.jp/1318428255#a1109912
・「なるほど!」と思った回答ほど高配当(最低でも1名は100pt以上)にしようと思います。
・核心を突いた回答を期待します。
・同じレベルなら短文の方が好みです。
そもそも人間という生物に大人、子供という明確な分け方はありません。肉体的、精神的成熟度でいえば、生物学的には刑事責任能力を負う14歳を境に子供が大人になると言えますが、それはあくまで「成熟した人間という生物」というだけで、社会的に「大人」とはいえませんね。
産業革命以前は、子供は当然のように大人の仕事を手伝い、少しずつ成長するものでした。それが義務教育が導入され、学習と就職が完全に分離したことで、大人と子供が遠いものになってしまったのかもしれません。
そういう意味で考えるならば、
自分より若いものの教育、指導ができるようになったら「大人」まだ教えてもらう側のうちは「子供」という定義がしっくり来る気がします。
大人と子供の違いを分けるのは肉体しかないと思います。
肉体が 老けているかどうかなどしか 分ける基準はないでしょう。
精神的なものは 大人でも 幼児レベルの人がいますので 判断できません。
思考が 幼児レベルか 大人レベルかどうかは 判断できても
それが 実際に 幼児なのか 大人なのかは わからないです。
追記
内面的には 器の大きさで 大人か子供か判断できるかなと思います。
器が大きい人は オトナだなーって。
他人の気持ちとか、思っていることを、考えたうえでの発言や行動ができるかどうか。
それができない(年齢的には)大人も大勢いるんですが。
次点で、我慢ができるかどうか、というのもあるんですが、
他人から見て我慢できてるかどうかが分からないので、自分にしか適用できません (^^;
見分け方は、
ひげの濃さをみることや服装高価なものを
身につけている人は、自分での稼ぎがあるので大人
その他に体つきを見て判断する、
(大人は、がっちりしている人や、ぽっちゃりしている人が多い)
女性は、化粧の濃さで判断すべきだと思います
肉体的な成長が一番わかりやすいと思います。一番わかりやすいのは身長を見れば一目瞭然です。コーヒーやビールがうまいとおもったら大人と思う人もいると思いますが、味覚は人それぞれなのでわかりにくいと思います。精神的な物は人それぞれ精神年齢があるので、わかりにくいと思いました。
No.1の回答に何か似てませんか?
大人と子供の違い。
・物事の善悪がしっかり分かっていること。
・ピーマンがうまいと感じちゃったら大人。(http://homepage3.nifty.com/shibalabo/mikuni/tayori/2007.6/piman.htm)
・両親が他界したら嫌でも子供と言われる事がなくなるので、この時点でもう子供ではありません。
追加
・子供は目に見えるもの、耳で聞こえるものを必死で捉えようとするけど、大人になると自身に都合の良いものにしか反応しなくなる。
・大切にしているものでも、大人は感情移入をしたがらなくなる。
・大人になると、美しい情景を涙として表現する。
ありがとうございます。
また日を改めてお時間ある時にほかにも是非お聞きしたいです。
>同じレベルなら短文の方が好みです。
とのことですので、
・固まったら大人。
さすがに短すぎだったら、
・目の前に無いものも含めて、トータルで物を見て判断するのが大人。
とか。
中には、大人<子供な点もあるよね、みたいなニュアンスもふくめつつ、どうでしょう。
あともうひとつ、
「『負けるが勝ち』が、わかれば大人。」
というのも、思いつきました。
(追記)
>「固まったら大人」とは、型が定まるとかそういう意味でしょうか?
人により「確立」であったり「硬直」であったり…
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E5%9B%BA%E3%81%BE%E3%82%8B
各自でいいように解釈してください^^;
「固まったら大人」とは、型が定まるとかそういう意味でしょうか?
あるいは危機などに遭遇して身動きが取れない「固まる」ではないですよね^^;
「複数の動作を組み合わせた作業ができるかできないか」
ではないでしょうか。
子供が操作してはいけないガス栓や車のレバーなどに取り入れられますが、
「○○しながら○○」
はある程度成長しないと出来ないそうです。
「押しながらひねる」「踏みながらギアチェンジ」などです。
『親』として子供をちゃんと育てている人は年齢如何あれ「大人」だと思います。
(発展途上国の10代のお父さん、お母さんには幼いながらも落ち着いた親らしい感じがあり
日本や欧米で選挙権のある年齢でも子供に暴力をふるう奴は精神的にも餓鬼かと。)
また結婚されていても子供がいない方は割と老け込んでいない & いい年こいてもヤンチャな感じがします(自分や周囲の中年以上含む年齢層まで見ての経験則で)
親になられている方は家庭や家族を養う事への労務などの責任等との相関が落ち着きや老け込みにはあるように思います。
逆の子供の条件ですが
「極端な無分別」は未成長の「子供」の証拠かと思います。
下記の話を思い出したので。
>子どもたちが屠殺ごっこをした話
(あまりに陰惨な内容で、グリム童話の2版以降からは削除された話にて閲覧注意です)
18歳又は高等学校の卒業が大人の基準になると思います。
日本でも海外でも18歳で過半数以上の人が仕事に付き税金を払います。
税金を払う人は税金の使い道を決める権利があるので、海外では選挙権が与えられ大人として認められます。
もちろん、家庭の事情や進学などで18歳過ぎて税金を払えない方もいますが、概ね18歳から税金を払い、選挙権があるということで大人と考えて良いと思います。
日本では18歳から半数以上の人が税金を払いますが選挙権は20歳と2年の誤差がありますが、税を納めるという18歳が、国際的な基準に照らし合わせても大人と考えて良いと思います。
内面的にという話ですので、言語や心理の面から考えてみます。
人間は相互に理解可能な音声言葉を持つ生物のひとつです。
この言語を獲得するには、臨界期というものが存在し、
その境界を超えると、新たに言語を獲得するのが難しいといわれています。
オオカミに育てられたこどもの例などはそれにあたります。
臨界期はいわゆる思春期の時期と重なるといわれています。
この臨界期を境に、こどもとおとなの決め手と考えることもできると思います。
臨界期仮説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E7%95%8C%E6%9C%9F%E4%BB%AE%E8%AA%AC
そもそも人間という生物に大人、子供という明確な分け方はありません。肉体的、精神的成熟度でいえば、生物学的には刑事責任能力を負う14歳を境に子供が大人になると言えますが、それはあくまで「成熟した人間という生物」というだけで、社会的に「大人」とはいえませんね。
産業革命以前は、子供は当然のように大人の仕事を手伝い、少しずつ成長するものでした。それが義務教育が導入され、学習と就職が完全に分離したことで、大人と子供が遠いものになってしまったのかもしれません。
そういう意味で考えるならば、
自分より若いものの教育、指導ができるようになったら「大人」まだ教えてもらう側のうちは「子供」という定義がしっくり来る気がします。
どのくらいの年齢を「子供」と定義するかにもよりますが、
「社会人の常識」を覆すよな突拍子もない事や物を見せて、
どうリアクションするかじゃないですかね。
例えば、目の前に空飛ぶそりに乗った赤尽くめのおっさんが現れれば、
大人なら、映画の撮影?手品?幻覚?
と、目の前の現実をそのまま受け入れようとはしないでしょう。
これがサンタをまだ信じている子供だったら、
「わー、サンタさんだ!」と素直に喜びますし、
サンタのなんたるかすら分からない赤ん坊なら、
「あ、なんか赤い人が飛んでる」程度のリアクションしかしないでしょう。
ようは、既成概念の凝り固まり具合が判断基準になると思います。
異性の感じ方や恥などの感じ方などだと思います。
大人になってからは異性に興味をもつ人が多くなると思います。子供でも異性が気になったりする人もいると思いますがやはり大人の
ほうが本気で“好き”という気持ちが強いと思います。
写真などでシワなどが目立ってしまって嫌がる人も大人だと思います。子供のうちは全然気にしないですもんね。
例えば、ヒーローものって朝やってますよね。そういうのって必ず間のCMにそのヒーロー関連のCM流れますね。
ある人々にとってそれはただの広告にしか見えませんが、子供にはCMもそのものの一部というふうに見えていると思うんです。
こんな風に色々な意味で全体を見ているのが子供かなって思います。
大人は細かいことは理解し説明できても、子供のような見方ってできないと思うんです。
同じような例で子供は木や草、人形など心がないものに話しかけたりしますよね。
そこにただ存在している生物、あるいはおもちゃ、だとは考えずに。
社会的には成人して、選挙権が発生すれば大人と思いますが・・・。
精神面で判断するのは、大人でも子供っぽい人がいるので難しいですけど。
・人の迷惑をかけるような行動や発言。
・社会的に反する犯罪行為など。
大人になれば、責任を問われたり、反感を買ったりする点が子供の頃とは全く違うと思いますが・・・。
大人かどうかを分けるのは、本人の状態ではなく、外部的な評価ではないでしょうか。
見た目が大人、というのも外部からの評価ですよね。
考えが大人、というのも外部からの評価ですよね。
自分の失敗を人のせいにするのが子供で
失敗の原因を分析して次のステップに生かせるのが大人だと思います。
大人と子供の違いは何か行動を起こすときに一瞬立ち止まって考え、その行動の結果どうなるのかといったようなことを考えた結果で動くのが大人。自分の思ったままに行動してしまうのが子供だと思います
ですね^^
単純に考えて、ネットや人生で制限をかけられているいるのが子供です。
まだ、物心が付かないうちに色々のトラブルに巻き込まれない様にする為、
人生に制限をされていますが、
大人はいままで勉強してきて、世の中を大分わかるようになるので、
平均的な制限は無くなり、人生を自由に過ごせます。
でも、もちろん責任は自分にあるので、良く考えて行動しなければなりません。
結局、日本では大人と子供の制限に関係があると言えるでしょう。
なので、「未成年禁止」「18歳以上対象」などと、目にする事も多いと思います。
大人と子供だと考え方が違いますから、こういう質問でも
「大人は身長が高くて子供は低い」などと回答する方も多いでしょう。
まとめると、大人と子供は思考力が違うので、
それに対して、人生に制限がかけられる事などが
大人と子供の違いだと言えます。
成長ホルモンが子供は夜11時~1時ぐらいまでものすごく出ますが、大人になるにつれ、1日中成長ホルモンが出ているんです。本当に少量ですけど、なので子供は早く寝たら疲れなんて次の日に残ったりしないんですが、大人は寝ても子供のように夜大量の成長ホルモンが出るわけでもないので次の日になっても疲れなどが取れにくいんです。
そんなぐらいの違いではないでしょうか?
自分の行動が将来に与える影響を推測する能力があるのが大人だと思います。
例えば
自分の発言が他人にどのように思われるのか?
ある勉強が将来の自分のキャリアにどのように役に立つのか?
ある支出が将来の自分にどの程度有益なのか?
「異性に媚びるかどうか」
子供=媚ない
大人=媚びる
男性は女性に、女性は男性に対して、
「優しく」というと大雑把な表現ですが、好感を持たれるような態度を意図的にとれるかどうか、
は大人と子どもを分ける大きな要因であるように思います。
小学生は得てして異性に優しく出来ません。
もちろん精通も初潮も迎えていない者同士、好感を持たせあっても生物として大したメリットはありませんので、
いわゆる子供同士には無条件に異性に優しくするという本能が働かないのでしょう。
しかし大人になるにつれて、「モテたい」という欲求が生じはじめます。
しかし最初は照れやプライドが邪魔をして、好感を持たせるような態度をうまくとることが出来ません。
それが精神的にも成長していくことにより、異性に対して自分に好感を持ってもらうための行動が出来るようになってきます。
ほんの一例ですが、男子の場合、
小学生までは、他人に1000円奢るということは大変なことで、
相手が女子であっても1000円を無条件で奢ることなど考えられませんでした。
しかし中学生頃から、女性に奢る1000円なら抵抗がなくなってきます。
大学~社会人になるにつれて、男性はむしろ喜んで女性に奢ろうとします。
単純に経済力の推移に比例しているという部分もあるのかもしれませんが、
それにしても、ここまでの精神的な変化は、子供から大人へ変化しているということも大いに関係しているのではないかと思います。
また女子の場合も同様に、
男性に媚びるという能力が肉体の成長と共にアップしていくように思います。
男性には笑顔を見せ、化粧をし、華やかな服を身にまとう、こういった本能が芽生えている女性は、大人ということなのかなと思います。
逆にいい年して、
・大した収入も無い男
・車も買えない男
・貯金も出来ない男
・仕事もしない男
・ぶくぶく太った女
・髪の毛バサバサな女
・いつまで経っても化粧が下手な女
・乳とケツを半分出したような服を着ることでしかセックスアピール出来ない女
・上手く人と話せない男・女
こういう人々は、異性に対してアピールするという能力が欠如しているわけですから、
30歳だろうが40歳だろうが、子供だと言えると思います。
大人と子どもの違い
こどもは大人と違う。どこが一番違うかというと、肉体そのもの、感情そのもので生きていることである。
子どもに「どうしてそんなことをしたの」と尋ねても、子どもは答えようがないものである。とにかく、やってしまっただけなのだ。だから、子どもが答えたとしても、ひどく公式的だったり、とってつけたような屁理屈になったりする。
考えで自分を動かすようになるのが完成するのは、20歳を少しすぎたあたりである。
変化は段階的に起こる。
まず、9~10歳くらいに大きな変化がある。このあたりから客観的判断が育ってくる。このくらいの年齢から憎まれ口が多くなる。親を客観視し始めたということである。
14~15歳くらいの変化は非常に大きい。このくらいから、子どもの行動のハンドルを親が握ってしまうことはできない。それまでは、なんだかんだ言っても、結局子どもは親に従うが、このくらいの年齢からは、もう従わない。
十代半ばからは、大人のロボットになるわけにはいかない、しかし自分で多くのことを学ばねばならない、という重い課題を子ども達は背負う。基本的に、仲間から学んでいる時期である。
大人は、目標を持ち、それに向かって行動するのが当たり前であり、よいことだと思っている。
そうではない。
子どもであるとは、全身を感覚にして生きること。なんでも身体ごとぶつかって生きること。好きなこと、嫌いなことなどで、心ごと生きること。
そんなことが、子どもの天職なのである。
子ども時代にこれを尊重しないと、ひからびた結論だけの大人になってしまうのである。
・自分が誰かの世話になって今日まで生きてきたんだ(これたんだ)と自覚することができたとき
子供は、何もかもやりっぱなし。親のこともそう深く考えないと思います。
特に反抗期は、邪魔としか考えていなかった人もいると思います。
しかし、後々
「何であんなことしてしまったんだろう・・・・」
なんて昔の自分を幾度も振り返るときが来ると思います。
そのときに感じるのではないでしょうか?
それは、そう早く感じるものでもありませんし、後々やっと感じることができるものだと僕は思います。
「大人というのは相手のことを考え、自分の行動を制御できる人間のこと。」
この定義の問題点は、そもそも即時には評価できない上に、自分にはその人が大人かどうか、原理的にわからないことがあり得るということ。けれども、”外見での違いでなくて、内面的な大人か子供かの判断基準”を聞かれたら、こう評するしかないと自分は思っています。
価値観、肉体、思考、精神的レベル、体力…
あと、責任を大人は自分で取る必要があるのに子供にはない。
子供の自由にはある程度、いや、かなり規制がかかっているが
大人の場合基本フリー
大きいのは責任の問題ですかね
「世界に一つだけの花」の歌詞をどう思っているか、がひとつの尺度になります。
あれは本気で全て正しい、今すぐ世の中は隅から隅までああなるべき。
と思っているうちは子どもです。
人間誰しも必ずそういう時期はあるし、そういう時期は人格形成に必須です。
あの歌にうたわれた世界はとても清らかで美しい、ああなったらいいな、でもたぶん実際にやってはこないだろう。
こういう心変わりを受け入れ、覚悟を決められるのが大人ではないでしょうか。
そして、「このぐらいまでならあの絵空事に近づけるかも知れない」という想像力を働かせ、考えて自分なりの生きる目標を立て、そこに向かって(たとえ、人と全く違う方向であっても恐れず、また衒いもせず)歩き出す。
それは「自分の人生を生きている」大人と呼ばれるべき人だと思います。
当方は、そういう人こそ「優れた大人」と呼びたい。
想像力ですかね。
大人だと、もういろいろなものを見てきていますし、自分のなかで想像する範囲を脳が勝手に判断するんでしょうね。子供だと、まだ知らないことがたくさんあり、より想像する範囲が大きくなるんだと思います。
知識とものの許される範囲と保護されてるか保護されてないかなどではないでしょうか?
知識というのは単純に勉強ができるではなく経験という意味なのですが…
やはり一般的に子供と言われる人の世界はものすごく不器用で、お互いに傷つけあったりするなど一般的に大人と言われる人からみると愚かしく感じることも多いのではないでしょうか?
大人だったら、大概は何かで聞いたり見たりと対策を練る事ができますが、
子供は悪く言うと無鉄砲に突っ込んで行きます。
そこが一の違いです。
二つ目の許されるものの範囲というのですがこれは十ハ禁とかのことです。
最近はずいぶん甘くなりましたが…
それでもグロいのやエロいのは子供に見せない。
なぜなら子供はその影響を受けるから大人はそこをわきまえている。
なんていうのはよくありますよね。
実際にそうとは思いませんが社会的に言われている大きな違いの一つではないでしょうか。
三つ目は
保護されてるか保護されてないか。
これはでかいと思います。
法律の観点から見ても同じことをしても扱いは違いますし、
漫画とかそういうものでもスリをしていた子供は大概更生して良いこになるとか
捕まえて罰を与えるみたいな風潮はなかなかありません。
大人にはいなくても子供には保護者と呼ばれる人もいますし。
そういうところが子供と大人の違いではないでしょうか?
人間が家族という文化を持ち始めたのは、旧石器時代だといわれています。まだサルみたいな見た目してた時代にも、我々の祖先は墓を作り、それに花を手向けていたそうです。
この頃の子供というのは、家族の利益に直接的には貢献しない物の、将来的には家族の為に働いてくれる者、つまり狩りが出来ない者でした。子供は狩りの練習をし、早く大人になって家族の為に獲物を捕まえられるようになりたい、と思っていたわけです。
この構図は人類の進化と共に複雑化しましたが、基本的な事は今でも変わってはいません。
そうすると、現代だと収入があって、それで誰かを養っている人が大人、ということになるでしょう。
ただ、現代社会では世帯に属するかどうか、ということはそれほど重要ではなくなってきています。普通に働いたら社会に貢献する、つまり社会上の誰かを養ってる事になりますからね。
大人は都合の悪いこと、全部政治家のせいにする(日常的なことで)
子供?そんなの笑うか泣くか
大人ね・・自分が嫌なこと全部子供に押し付けるし子供が自分の言うとおりに行動しないと気が済まないって人結構いるのですよ。
わたしは現実性があるか無いかだと思ってます。
いつもなにも考えずに行動する人は、『子供』だと私は思います。
また、現実から目をそむけて空想に浸っている人を私は『大人』と思いたくありません。
私はあまり考えずに行動することが多いので、まだまだ子供かなって思います(´Д`;)
大人だな~って思う人は、よく考えて行動して、責任感がある人だと思います。
子供の方が良いと思うなら大人。
大人の方が良いと思うなら子供。
子供は「大人になったら遊び放題で学校にも行かず
自分の好きなことばかりでき、良いなぁ」と言う。
大人は「子供の頃は遊んでばかりで社会のことは何も考えず
会社にも行かずに済み、良かったなぁ」と言う。
人間は常に良いほうばかり考えてしまうんですよね
シニカルな見方ではありますが、精神状態での対比です。
希望をいくらでも広げられ、夢を信じられるのが子ども。
希望がどんどん小さくなり、夢を捨ててゆくのが大人。
例えば、誰かがヨーヨーのスゴイ技をやったとして、「わーすごい!」といっておきながら内心は「俺だってやろうと思えばできる」と思っているのが大人、逆に「わースゴイ!」といい、内心も「この人スッゲー!」と思っているのが子供。
年齢てきなもの。
18歳で結婚できる・・・婚姻的には大人
20歳・・・法律的に大人、参政権もある。犯罪報道で名前が出される。
社会的なもの。
就職して経済的に自立または自立しようとしている。
(中には会社の状態で給料が入らない人もいるかもしれないけど 何とかしようとしてる人も大人)
扶養・保護すべき相手を保護・扶養している。
精神的なもの。
大人だと自分で自覚している もしくは大人であろうとしている。
大人に対しての反抗が無くなった。
なんでも一人で出来ると思わなくなったとき。
誰かの世話になって生きてきたんだと自覚することが出来たとき。
だと思います。
僕は社会的にも法律的にも精神的にも子供ですが、すこしは大人に近くなってきてるんじゃないかと思ってます。
礼儀や理解力なども決め手になると思います。
「大人気ない」と言う言葉もある通り、小さい子にまで容赦ない(ムキになる)と言うのが僕は決め手にします。
また、字や挨拶などもちょっと「お?」と思う所があるのも。。。
理解力は人力でわかると思います。言葉の経験が大きな違いですし、見たところへ突っ走るのが子どもですが、大人の世界じゃ見過ごさないといけない所が多いと思います。
年齢てきなもの。
18歳で結婚できる・・・婚姻的には大人
20歳・・・法律的に大人、参政権もある。犯罪報道で名前が出される。
社会的なもの。
就職して経済的に自立または自立しようとしている。
(中には会社の状態で給料が入らない人もいるかもしれないけど 何とかしようとしてる人も大人)
扶養・保護すべき相手を保護・扶養している。
精神的なもの。
大人だと自分で自覚している もしくは大人であろうとしている。
大人に対しての反抗が無くなった。
なんでも一人で出来ると思わなくなったとき。
誰かの世話になって生きてきたんだと自覚することが出来たとき。
「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
経験から学んでない愚者、歴史から学ばない賢者。
どれも子どもになるのではないでしょうか。
ということで勉強も関係するというこのなのでしょう。
自分も復習しないと抜け落ちた経験を見過ごすので、子どもになっちゃいます。なので、今日も子どもに戻った気分で、「なんでなんで」を口癖にgoogleで探し回ろうと思います。今度は人に聞かないと学べない所が抜けちゃいますが。。。人間が家族という文化を持ち始めたのは、旧石器時代だといわれています。まだサルみたいな見た目してた時代にも、我々の祖先は墓を作り、それに花を手向けていたそうです。
この頃の子供というのは、家族の利益に直接的には貢献しない物の、将来的には家族の為に働いてくれる者、つまり狩りが出来ない者でした。子供は狩りの練習をし、早く大人になって家族の為に獲物を捕まえられるようになりたい、と思っていたわけです。
この構図は人類の進化と共に複雑化しましたが、基本的な事は今でも変わってはいません。
そうすると、現代だと収入があって、それで誰かを養っている人が大人、ということになるでしょう。
ただ、現代社会では世帯に属するかどうか、ということはそれほど重要ではなくなってきています。普通に働いたら社会に貢献する、つまり社会上の誰かを養ってる事になりますからね。
「早く大人になりたい!」または「大人になりたくない!」または「自分こそ立派な大人だ」と思っているのが子供。
「大人のようで自分もまだまだ子供だなあ」または「子供の考えがわからない」と思っているのが大人。
大人と子供の境界線は時代と共に変化してると思います。
現代でいうと人の力を借りず自ら生活できる人でしょうか。
未成年では就職等は難しく子供でしょう。
30代でもニートは大人ですが子供と思います。
子孫を残し家族を養う、旦那や子供を育てる。
これが男女の大人だと思います。
「これから」より「いままで」が重く感じられるようになったらオトナです。
来年になれば新しい知り合いが出来ると信じこんで要られる間は子供で、
いままで知り合った人々との付き合いが大変で新しい人間関係などいらなくなってきたらオトナ。
「将来のことを考えたら犯罪などとてもできない」のが子供、
「今まで築いてきた事業を発展させるためなら組織的犯罪行為といわれるのも辞さない」のがオトナ。
オトナもたまには子供を取り戻さなければいけないというのはそういうことです。
未来が遠く、昨日が近いばかりではまっすぐ生きていけない。
「今まで」って重いですね。
短い文でまとめてみます。
・選挙権が与えられたら大人
・成人式を迎えたら大人
・20歳をこえて出来るもの(お酒・たばこ等)
・周りの雰囲気を理解して行動できる
・家庭をつくる
・周囲の人から「大人になったね」と言われたとき
・社会に出たときに使える、学力・知識が身についたとき
・上下関係をしっかりと把握している
・入園料などで『大人』でお金を支払うとき
・場に応じて切り替えをすることが出来る
・食事などのマナーや礼儀作法などがしっかりしている人
このぐらいです。少し考えて出てきたものが。少しでも参考になれば嬉しい限りです。
文に、誤字・脱字がありましたら教えて下さい。書き直しますので。
一度決めたことはやり遂げることができる人や、
お金の無駄遣いをしない人、
そして、敬語を使いこなせて、
何があっても冷静に対処できる人が大人だと思います。
やり遂げる、これは大事だけどなかなか難しいですね。
敬語を使いこなせる大人は素敵ですね。
敬う心を持つことが大切であり、敬語はその表現手段でしかないので注意しましょう。
以前http://q.hatena.ne.jp/1315754564#a1102413で敬語について主張されてましたね。敬語を使いこなすのは難しいので、実生活においては多くの場合丁寧語が使われると思います。
Fetched URL: https://q.hatena.ne.jp/1318428255#a1109912
Alternative Proxies:
見分け方とは一言も書いてません。
「分ける決め手」です。
さらにコメントを書いたあとなので申し訳ありませんがポイント配分なしと仮に指定しています。
編集して質問にあった内容に書き直してもらえたら変更するかもしれません。
↓
「自分での稼ぎがあるので大人」これはありますね。