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2024-10-15

福島県民は現在薩長を嫌っているのか?

 「地域による」が正確な答えだが、これではどういう事なのかわからない、となる人が多いと思うので、表で示してみる事とした。

薩長嫌い度地域
大嫌い会津若松市
嫌い会津その他
やや嫌い二本松市白河市
関係ない福島市浜通り全域
好き郡山市

 「戊辰戦争被害が大きかったから」というのが薩長を嫌う理由で、それは間違いではないのだが単純にそれだけではない。

  1. 新政府敵対した藩の出身者は「賊軍」とされ新政府出世し難かった(できなかった、わけではないので注意)
  2. 会津地方の開発は、他と比べてかなり後回しになった(山が険しく雪が多い、という表向きの理由があるとはいえ新政府会津が嫌いだからが強く影響していると薩長嫌いの地元民は感じている)

 こちらはかなり後まで((2)はあえて言えば現在まで)続いており、「百五十年前の事をいつまで言ってるんだよ」という声には「そうではない」と言いたい。

会津若松★★★

 会津藩の中心都市戊辰戦争では被害甚大だったし、その後の不利益も長く続いた。

会津その他★★

 会津若松以外の地域戊辰戦争で直接そこまでの被害を受けたわけではないが、長年の会津地方冷遇の影響は強く受けてきたわけで……

二本松市白河市

 会津若松に次いで戊辰戦争被害が大きかった。ただし、中通り地方鉄道道路の整備が早く、そちらの被害はさほど続かなかった。純粋戊辰戦争の恨みだけなら、まあこんなもんだろう。

福島市

 福島県における都市の格を江戸時代基準に見れば会津若松の方が上だった、すなわち県庁所在地会津若松になって然るべきだったのが、あちらが戊辰戦争ボロボロになったため漁夫の利的に福島市県庁が置かれる事になった(養蚕が盛んだったため、当時から豊かな街ではあった) そういう意味では、新政府感謝している……かも?

いわき市ほか浜通り

 会津浜通りはかなり遠く(奥羽山脈阿武隈山地と2つも山を越さないと行けない)、戊辰戦争の話もまあ関係ないと感じる人が多い。

郡山市

 郡山市江戸時代までは荒れ地ばかりの田舎だったのが、明治以降

 という事で、現在福島県もっと人口が多い都市である。安積疎水事業を進めたのは大久保利通を始めとする新政府なので、郡山市民としては新政府感謝する方が自然である。市の南には大久保利通を祀る「大久保神社」があるほどだ。ただ、郡山市でなら誰でも薩長と仲良く……かというと、会津から郡山市に移ってきた人も少なからずいて、そういう人は「薩長のせいで故郷を離れる事を余儀なくされた」と思っている場合もあるので安心はできない。

その他

 戊辰戦争のほか、福島県には三島通庸薩摩)vs自由民権運動、という話もある。これも込みで考えるとさらに複雑になるのでこちらは略。

 
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