鉢植えを愛す

決して何も無かったわけではないのだが、何かあった、と記録するには余りにも目まぐるしい日々である。彼との同棲を解消しようと思い立ち、引っ越し屋を予約して、翌る日には、やっぱり辞めた。手元には、届いてしまったがために買い取らざるをえなくなった新品のダンボールが10枚残った。その晩、近しい人と、親しかった人と、続けざまに訃報が届いた。コンビニで黒のストッキングを買い、帰省した。私は斎場で、生まれて初めて人間の骨を見た。白い。割れた陶磁器の欠片が折り重なっている様に似ていた。私もいずれ、こうなるのだ。

人生の岐路とも呼べるような、重要な出来事ばかりである。てんやわんやの最中、私は、この非日常を決して忘れぬよう、必ず書き留めておかなければならない、と心に誓った。しかし、全部が過ぎ去った今、冷静になって思い返すと、これは、私の一存で大っぴらに公開するような類の出来事じゃないように思われる。私以外の人間が、精神的にも物理的にも、あまりにも深く関わりすぎている。ただ、そうであった、という以外に、だらだら詳細を書き連ねるのは野暮、何より、終わってしまえば、まるで夢みたいに呆気ないのだ。全てが、ほんの二週間弱のうちに起こった出来事だ。手元に残ったものと言えば、放心、倦怠、それに少しの達成感である。人生は短い。そして、火葬場へは二度と行きたくない。

愛すべき鉢植えの画像

鉢植えの話をしよう。二月の終わりから、観葉植物の世話を始めた。シェフレラ、日本では通称カポックと呼ばれる。主軸は丈夫な木の幹で、そこから枝分かれして、楕円形のツルツルした葉が手のひらのように開いている。乾燥や寒さに強く、成長すると背丈ほどにもなるらしい。雑貨屋で300円で購入した。

自慢のひとつに、植物を平均以上に成長させる、という才能がある。小学一年生の時に授業で植えたアサガオは異常な速度で成長し続け、四方八方へ伸びたツルは高さ1メートルほどの支柱を越えて、隣に並ぶクラスメイトの鉢にまで絡みついた。三年生になりオクラを育てると、夏には手のひらサイズの大ぶりな実が収穫できた。植物以外にも、一人ひと番(つがい)ずつメダカを飼育する授業では、クラスメイトの大半が一度卵を産ませてそれっきりという中、私のメダカ夫婦は延々と健康なまま、大量の卵を産み、大量の稚魚が発生する事態となり、ついに収拾がつかなくなって、稚魚だけを別の水槽で管理し、業者のようにクラスメイトに配ってまわった。

大成長、大繁殖にはコツがあって、相手が植物だろうがメダカだろうが、とにかく毎日話しかけることである。アサガオに、オクラに、メダカに、「おはよう」と呼びかけ、少しの成長でも大袈裟に褒め、時に機嫌良く歌って聴かせる。動植物関係なく、発声でのコミュニケーションは発育に良い影響を与える。どこかの研究結果でも立証されていたはずである。

久しぶりに実家へ帰ると、キッチンの窓辺に、高さ30センチ近くまで生い茂る豆苗があった。どうしたのかと聞くと、母は「元気がなかったのだけど、ちょっと褒めたら、いきなり育った」と言う。やっぱり声を掛けるべきなのだなと感心した一方で、植物にさえ話し掛けてしまう性分は母親譲りの遺伝なのでは、と納得した。

 

我が家のカポックには勿論、毎朝「おはよう」と声を掛ける。水をやる時には「このくらいですかねえ」などと問いかけ、昼は日向に移動させ、共にラジオを聴き、葉を撫でる。購入当初の鉢では根が窮屈になってきたから、二回り大きい鉢に植え替えた。春が来て、暖かくなると、いよいよ生育期本番である。出来れば、私の背丈まで育ってほしい。今はまだ30センチちょっと。どうか病気にかからず、いつかのアサガオのように伸び伸び成長して、部屋を覆うくらいの大木になってほしい。死んでも骨さえ残らないあなたが、今日ここに生きているという事実が、なるべく永く続きますように。

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