1908年1月5日、群馬県北群馬郡長尾村(現渋川市)の豪農に生まれる。旧制渋川中学校入学後、1926年4月、早稲田大学予科に進学。早稲田大学在学中に日本ランキング1位となる。1933年、早稲田大学政治経済学部経済学科中退。 1930年(昭和5年)の全日本テニス選手権でシングルス優勝。1931年からデビスカップの日本代表となる。同年の全仏選手権で初の4大大会準決勝に進出し、世界ランキング9位に入る。この大会では、当時の男子テニス界でダブルスの第一人者だったジョン・バン・リン(アメリカ)を準々決勝で破った。1932年(昭和7年)、ウィンブルドン選手権大会の準々決勝で前年優勝者のシドニー・ウッド(アメリカ)を破った。続く準決勝で敗れた相手は、イギリスのバニー・オースチンであった。この年は年末の全豪選手権でも、シングルスでハリー・ホップマンとの準決勝まで進み、混合ダブルスではメリル・オハラウッド(
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