大小2つの島が潮流によって接合された陸繋島[2]。砂州でつながった形をしており、それぞれ大由利、小由利(標高102.9メートル)と呼ばれている[2][注釈 1]。両島とも安山岩でできており[2]、標高174メートル。 松山市の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)分布地図によると、島内には由利島遺跡(弥生時代の遺物散布地)・由利島大谷遺跡(中世の遺物散布地)・由利島長者屋敷遺跡(中世城館)という3遺跡が登載されている[4]。小由利島の由利島遺跡からは、弥生時代中期の弥生土器として壺・高坏(たかつき)が多数出土しており、1世紀ごろに島が東九州、安芸、周防の中継地として栄え、この頃から人が住んでいたものと思われる[1][5]。古代には周防国や安芸国、九州との中継地となっていたと見られている。大由利島山腹の夜叉ヶ宿や大谷からは土師器系と考えられる平安時代・鎌倉時代のかわらけ片、貝塚が出土している[1][5]。
