私は、IT業界の争いや悲哀を、ギリシャやシェークスピアの悲劇になぞらえてしまうことがよくある。しかし、現在議論の的になっている「GPL 3.0」には、高校時代の西洋史の授業を思い起こさせるところがある。 15世紀後半、ルネッサンスはその絶頂期を迎え、フィレンツェはその中心にあった。メディチ家の庇護のもと、人文主義の学者たちは、芸術、科学、哲学の分野で膨大な数の新しい成果を生み出していた。その一方で、当時は退廃的な行為(飲酒、賭博、レスビアンなど)も蔓延していた。ルネッサンスの主役である人文主義者たちの多くは、熱心なキリスト教信者であったが、彼らも自らの信仰と目の前の現実のギャップに折り合いをつけるしかなかった。 そこに登場したのが、ドミニコ会の修道士Girolamo Savonarolaである。彼は1494年にフィレンツェで権力の座に登り詰めた。Savonarolaは、ルネッサンスの人文主
