ニートや引きこもりなど若年無業者の問題の深刻化と、不登校や中退などの挫折体験との関連を探るため、文部科学省と内閣府は、不登校と高校中退の経験者約3300人の4年後の意識や就業状況などについて、緊急の追跡調査を行う方針を固めた。調査は不登校では10年ぶり、高校中退では13年ぶり。文科省は「効果的な若者の自立支援策を講じるための基礎資料としたい」とし、3月ごろまでに結果をまとめる。 調査対象は、04年度に中学3年生で年間30日以上欠席した約1500人と、高校を中退した約1800人。それぞれ10都道府県ずつの協力で、書面によるアンケートを行う。 その後の進路や現在の状況に加え、当時の心境や保護者の経済状態も尋ねる。行政などの支援が役立ったかを聞き、どのような支援があればよかったかも質問。ニートや引きこもりなどの状態にある場合には、不登校や中退の経験がどう影響しているかなども探る。 旧文部省は99
スタートから3年余 説明会は盛況なのに ニートの支援策の目玉として、厚生労働省が始めた若者自立塾の事業が、スタートから3年以上経過した。 自立塾は、事業を委託されたNPOなどが、3か月間の合宿生活をしながら、ニートに職業訓練などを行うもの。その成果と課題を踏まえ、2回にわたりニート支援のあり方を探った。(大津和夫) ◆共同生活 午前7時朝食。掃除、洗濯の後、午前10時から午後4時まで、昼食をはさんで企業で就労研修。午後6時から夕食……。横浜市にある若者自立塾「Y―MAC」の1日のスケジュールは、ざっとこんな具合だ。日中は、スポーツ、面談指導、卒塾生との交流会、子育てボランティアなどを行うこともある。 運営しているのは、若者を支援する事業を展開している株式会社「K2インターナショナルジャパン」(横浜市)。お好み焼き店など4か所の飲食店を持っており、塾生の研修の場としてだけでなく、卒塾
相談依頼が殺到 人手・資金不足が悩み 厚生労働省がニート対策の目玉として導入した若者自立塾は、深刻なケースや、生活が苦しい家庭は利用しづらいことが浮き彫りになった。こうした中、深刻な状況にあるニートの自宅までスタッフが出向く「訪問型」の支援が注目を集めている。(大津和夫) ドライブし雑談 「久しぶり。元気そうですね」 佐賀県内で20年来、引きこもっている30代男性の自宅玄関――。ニート支援を行う「NPO法人スチューデント・サポート・フェイス」(佐賀県武雄市)の谷口仁史(ひとし)代表理事は、笑顔で男性に話しかけた。その後、ドライブに誘い、車中、スポーツの話題など雑談をしながら、近況を聞いた。30分後、家に送った。 同法人は、ニートの若者の自宅まで出向いて相談にのるという「訪問型」の支援で有名だ。2003年の発足以来、訪問件数は、昨年度末までに約2500件に上る。経済的に苦しかったり
「人間力っていうな!」 では、そういう対人コミュニケーション能力、「官能」の乏しい若者はどうしたらいいのか。 ジョブ型の労働市場で、個人の職務能力を武器に生きて行く方がいいのか、それとも・・・。 もちろん単純な答えなどありませんが、一つの興味深い事例があります。 厚生労働省の委託で産業社会センターが実施した「若年者の雇用機会の確保等についての企業等からの好事例の収集に係わる調査研究報告書」の中に、 事例2(ビルメンテナンス業A社) ニートを自社の基幹社員に育成した“適性を活かす”人材育成プロセス というのがありました。 http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/jakunensha06/dl/houkoku.pdf >同社では、取引先の紹介で2003年に、無職で、かつ、職業経験がない、22歳と、23歳の男性2名を面接、採用した。 この2名の男性は、仕事をせず、学校
「人に就く」――。社会人として自立した元ニートの若者と雑談していると、こんな言葉が頭に浮かぶ。仕事について話す時、彼らは一様に、就いた「会社」や「職」でなく、職場の「人」を強調するのだ。 高校を中退し、5年間社会とのつながりがなかった男性は、就職のきっかけにとホームヘルパーの資格を取った。求人は多く、それぞれ仕事の内容や待遇も理解したが、動けなかった。そこに誰がいるのか分からず、不安だったからだ。 そこで、ある介護施設でボランティアをするよう勧めた。すると、1か月後にはアルバイトとして採用された。今は正社員として働く彼は、時折、事務所に立ち寄り、充実した様子でこう話す。「僕は所長のために働いているようなもの」 他者とのかかわりが苦手だった25歳の女性は、半年のアルバイト期間を経て正社員になった。「つまらない冗談を連発する社長、それに突っ込みを入れる部長のコンビが最高です」と頬(ほお)
子どものために――。そんな思いで起こした親の行動が、裏目に出ることがある。 息子の部屋の前にDVDを置いた父親がいた。そのDVDは、社長と社員が一丸となって経営危機を乗り越えるという感動の物語。働くことの素晴らしさを伝えようとした行動だった。 だが、息子は、「働け」という無言のプレッシャーと受け止めた。翌朝、子どもは、そのDVDを割って部屋の前に放置した。父子関係はしばらく断絶した。 家のインターネット回線の契約を解除した母親がいた。昼夜逆転の生活で、部屋でパソコンばかりしている息子の姿に、ネットがあるから働かないのだと考えたからだ。しかし、契約解除を知った息子は激怒し、母親との会話はなくなった。 息子はネットゲームにはまってはいたが、仕事探しや支援機関の情報もチェックし、気になった支援機関へ相談に出かけてもいた。母親は後にその機関を訪れ、息子が他人との関(かか)わりに強い不安を抱
なぜ、若者はニートになるのか――。これまで耳にたこができるほど同じ質問をされ、いつも「わかりません」と答えてきた。一人ひとりが抱える問題は一様でないからだ。それでも、彼らと長くかかわるなかで、おぼろげながら原因を探ることはできる。 例えば、高校中退後、5年ほどニート状態の女性。ウエートレスの募集に、「自分は鈍いので、お店に迷惑をかけるかもしれない」と、電話をかけることができない。父親の知人が声をかけてくれた時は、「父親の顔をつぶしたくない」と、丁重に断ったという。 就職活動がうまく行かず、大学卒業後にニートになって3年近くたつ男性は、「就職したいが、僕みたいな人間を採用しても社員の人に迷惑ですし……」「専門学校も考えているが、途中で辞めると親に悪いので……」と話していた。 「失敗してもいい。消極的にならずに、まずはやってみるべき」というが、一歩踏み出したい気持ちを持っていても、それが
「昼夜逆転した生活をしています」。働かず、学校にも行っていない「ニート」の若者に生活習慣をたずねると、こんな答えが返ってくる。毎度のことなので特に驚くこともない。 明け方に就寝し、夕方ごろに起きる。テレビを見るか、ゲームか、ネットゲームか――。何をしていたのかを聞く前に大体わかっているが、「だらけた生活を送る怠慢な若者」と判断するのは早計である。大切なのは、なぜ、昼夜逆転するのかを考えることだ。 月曜から金曜まで働いていることが常識とされる社会において、理由はどうあれ日中に出歩くことは理解されづらい。逆に、夕方以降であれば、学校や仕事の帰りであるとして、無条件に許容される。 夜中に若者がコンビニエンスストアにいても、誰も違和感を持たない。ある若者は「夜の外出は近所の噂(うわさ)にならず、家族を巻き込まないで済む。行動は深夜しかできない」と語った。 なぜ毎日、昼間からゲームをし続ける
「ニート問題のカウンセリングは引き受けません」 M夫妻が某カウンセラーから聞いた言葉です。 ずいぶん乱暴な断り方をするカウンセラーだ、と思いつつ、しかし「引き受けない」と尻込みするのも分かります。 M夫妻は50代後半。ニートである息子さんは32歳。30歳過ぎまでニート状態で過ごした人を、一般的な意味での社会適応できる状態に導くのはきわめて困難。それはボクも痛感しています。 100人に2人弱しかいないのは少なすぎると思う 厚生労働省は「若年無業者」を、「年齢を15歳から34歳の年齢に限定し、非労働力人口のうち、家事も通学もしていない者」と定義しています。 この若年無業者をニートとすると、2005年時点でのニート総数は64万人としました(2006年労働経済白書)。同白書では、翌2006年にこの数を62万人としています。64万人または62万人。この値は、カウンセリング現場でニート青年と接してきた
【ロンドン=本間圭一】英国のブラウン政権が、内政の重要課題として、通学も就労もせず職業訓練も受けていない若者(ニート)の救済を本格化させている。「ニートは国益を損なう」との観点から、約40年ぶりの義務教育期間の延長や、生活支援や就学促進を柱とした教育改革を断行、早期にニート問題が浮上した国だけに世界の先陣を切って実績を挙げる方針だ。だが、社会情勢や家庭環境とも連動した問題の解決は容易でなく、その対策は日本など同様の課題を抱える国々にも影響を与えそうだ。 ブラウン政権は11月、イングランドでの義務教育修了年齢を2015年までに現行の16歳から18歳に段階的に引き上げる方針を示した。1972年に15歳から引き上げられて以来の改革で、中等学校で必要な学科を教えたり、職業訓練を行ったりし、ニート増加を未然に防ぐ。 ボールズ児童・学校・家庭相は11月、ニートへの求職手当の支給要件を緩和し、学期途
「圧縮新聞」「訃報ドットコム」始めて半年で数々のサービスを生み出す、自称“ニート”──phaさん:田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪 「ニートだけど別荘を買った」というブログで知られるphaさんは、数々のWebサービスを生み出す開発者でもある。プログラミングを始めたのは2007年の2月。どのようにして学び、サービスを作り出していったのだろうか。 ひとりで作るネットサービス──第19回目はその日の最新ニュースをまとめて表示する「圧縮新聞」や、訃報情報を自動でまとめる「訃報ドットコム」など、多数のWebサービスをひとりで開発しているphaさん(28)にお話を伺った。プログラミングを始めたのは2007年2月からというphaさん。短期間でプログラミングを習得し、サービスを開発できるようになった背景にはどういった仕事術があったのだろうか。 憧れのプログラミング──2007年2月に思い立って始
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