百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

3月11日(火) 忙しいのだ

今日は3.11の日。起きてすぐこの日付を見て、それなりに思うところはありつつ、電車に揺られて出勤。私の日常はこうやって流れている。

 

最近、(今の)私は忙しいんだ、ということに気がついた。

「気づいた」というより「認めた」「そう思うことを許可した」という感覚に近い。以前からいろんな人に「岡本(さん)は忙しい」と言われてはいた。そう言われるたびに私はそれを否定して、忙しそうに見えている自分の至らなさを反省したり、みんなもっと忙しいのに私はただドタバタしているだけなんだよ、好きなことをやっているのにバタバタしていて不甲斐ない、とまたしても自己否定していた。

坂口恭平によると自己否定は2種類あって、鬱になっているときの「自分なんか…」という自己否定はわかりやすいが、躁状態の「自分はもっと/まだまだできるはず」という自己否定には気がつきにくいのだという。私の「忙しいわけじゃなくて時間管理が下手なだけ、時間管理さえできるようになったら本当はもっと余裕が出て落ち着けるはず」も後者の躁状態での自己否定に似ている。

 

なぜ私が「自分は忙しいわけじゃなくてただバタバタして見えているだけ」と思い込んでいたかと言うと、フルタイムの週5勤務というサラリーマン的な働き方をしていないから、あるいは同じ仕事を毎日やっていないから、である。さらに言えば、私は好きなことをやっているから、でもある。好きなことなのに忙しいと言うのは悪い気がした。

だから会社に雇用されて働いている人や、週6で店を開けている人から「忙しいでしょ」と言われると、全力で申し訳なさを感じていた。みんなのほうが忙しいだろうに気を遣わせて、不甲斐ない、みっともない、と思っていた。

 

それが、今年になって徹底的に「自己否定をやめる」と決めて自分に向き合っていくなかで、私は忙しいのではないかと思うようになってきた。

紙に自分のやっていることを全て書き出してみた。明らかに多かった。念のためchat GPTにも聞いてみた。多いよと言われた。データに基づいて回答するAIがそう判断するなら、本当にやっていることが多いんだろう。

 

ライスワーク(収入源)として翻訳校正、ラジオ番組の編集や登録作業、図書室バイト、たまに飲食店でのピンチヒッター。

ライフワーク(一生やりたい仕事、いずれ収入源としたい)として研究論文の執筆や投稿、文献購読、エッセイ(=blog)や紀行文の執筆、講義や講演。それに付随する各種SNS広報、即売会への参加、個展の開催や展示会への作品提出。インドや人の営み、生きることについてずっと考えていたいし、考えたことを言葉にして誰かに届けたいのだ。

交友関係も大切にしたい。知り合いの店に定期的に顔を出すのはもちろん、知人や友人のライブや個展にはなるべく足を運ぶ。仲良しの友人とは月1回は集まって飲むし、だいたい季節ごとに花見やらBBQやらもやっている。家族や恋人と過ごす時間も大切。もちろん飼い猫のムギさんと遊んだりのんびり過ごす時間も。

趣味も多い。まず居酒屋めぐり。Google Mapの気になる居酒屋リストが50軒を超え、はやく行かねばと気が急く。もちろん好きな店には何度も訪れたい。酒を飲み干すには人生は短すぎる。好みの雰囲気のカフェで甘いものを食べながらカフェオレを飲む時間は至福。映画は映画館で月1本は観たい。読書も好き、ライブも好き、写真展も好き。生活雑貨や台所用品が好き、そういう店を見て回るのが最高。登山も長距離ウォークも好き。歩くのが好きでスタンプラリーにはつい参加してしまう。料理も好きだし美味しいものを食べるのも大好き。ANNやTBSJunkを聴くのも好きで、推しの芸人が出る番組はTVerで視聴。YouTubevlogを見るのも好きだ。大好きなquiz knockの動画もよく観ている。漫画もよく読むしゲームも好き。

自分と向き合う時間も大切にしている。メンタルケアのためのジャーナリングや、感情が荒れたときのワークの時間(思いきりその感情を感じる時間を作って心に寄り添う)。好きな文房具を使って手帳やノートを書く時間は落ち着く。瞑想はしてないけど私にとってはノートを書く時間が「瞑想」のようになっている。

そして、家事も好きなのだ。洗濯物を干している時の香り、掃除機をかけて綺麗になった床に寝転がること、花を飾ったり好きな民芸品や雑貨を飾ったりして家を心地よく整えること。

 

書きだしたものを眺めて改めて思う。好きなことがありすぎる。私は生きること自体が好きなのかもしれない。

たぶん、私だけじゃなくて、好きなことがある人はみんな忙しいのかもしれない。だけど私は「好きなことで忙しい」を堂々と言ってはいけないのだと思いこんでいた。ライスワークで忙しいわけじゃないから我慢しなきゃとか、贅沢な悩みなのだろうから忙しさを認めてはいけない、とか。

ライスワークとライフワークが乖離していることも問題だと思う。将来これで生計を立てたいと思っている研究や執筆活動がまだ大きな収入に繋がっていない状況で「まだまだ稼げていないんだから忙しいと言うのはおかしい」と思っていたかも。chatGPTはこれを「未来への投資」と呼んだ。いい考え方だなと思う。投資で忙しいと思えばなんとなく受け入れられる。

 

別に忙しさに気がついたからと言って今すぐ何かを変えられるわけでもないけれど、時間管理が下手なのだと自分責めしなくなったことで呼吸はしやすくなった。

 

私は自分で自分の首を絞めるような行為をいくつもいくつも無自覚にやっていて、そのせいで何十年も勝手に生きづらくなっていたのだなあ。去年も一昨年も自分と向き合ってその「枷」を外してきたけど、自己否定を徹底的に辞めると決めたこの一年で今度はどんな景色が見えるようになるんだろう。

まだ3月なのだ。今年が始まってまだ3ヶ月しか経っていない。これから春が来る。

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