放送100年 原点から未来を創造する契機に 飯田豊

『ラジオの時代 ラジオは茶の間の主役だった』(竹山昭子著、世界思想社・3080円)によれば、複数の新聞社は1922年頃から、ラジオの速報性が新聞事業の発展に有用であると考え、一種の「イベント・キャンペーン」として、博覧会や展覧会で積極的に公開実験を実施している。こうして民間資本による放送局設立の機運が高まったが、23年の関東大震災によって事態は一変する。混乱に乗じた治安の悪化、流言飛語にともなう虐殺事件などの二次被害が甚大で、新聞紙上にも虚報が飛び交った。その結果、政府が急速に規制を強化していったのである。
非営利の社団法人として設立された東京放送局は、当初、民間資本を基盤としていた。25年3月22日にラジオの定時放送を開始。大阪と名古屋がこれに続いた。逓信省は翌年、この3局を統合して日本放送協会を設立。放送事業は強力な国家統制のもとに置かれ、全国一元的な放送網が構築されていく。
ラジオは急速に大衆化したが、太平洋戦争中、国民を戦争に動員する役割を果たした。開局当初から敗戦後まで、日本放送協会は原則として独自の取材をおこなっておらず、通信社や新聞社から無償提供されたニュース原稿を使用していた。
その反省を踏まえて、戦後の民間放送は、民主主義の発展に資する言論機関としての役割が期待され、「放送の多様性・多元性・地域性」という理念のもと、全国各地で互いに独立した企業体(ローカル局)によって営まれることになった。その経緯は『日本ローカル放送史 「放送のローカリティ」の理念と現実』(樋口喜昭著、青弓社・3300円)に詳しいが、この理念は当初、電波の届く範囲が限られているという技術的制約に裏打ちされていた。
しかし現実には、在京の放送局(キー局)による系列化、新聞社の資本参入による中央化が進んだ。地方の系列局は、キー局や在阪の準キー局の番組に依存し、経営的に自立しているとはいえない。そこで樋口は、戦前に日本放送協会が設置した地方局にまで立ち戻り、ローカル放送の理念と実態の隔たりを、制度・組織・番組の相互作用に注目して通時的に分析した。
そこで浮かび上がるのは、民放テレビの5大系列化の功罪であろう。多くのローカル局は長年、その恩恵を受けて大きな利益を得たが、メディアの構造が激変したことで、現在は厳しい経営環境に直面している。今年、フジテレビへのCM差し止めが系列局にまで波及したことで、その制度疲労が改めて露呈した。
放送の歴史から今、何を学ぶことができるだろうか。『はじまりのテレビ 戦後マスメディアの創造と知』(松山秀明著、人文書院・5500円)は、テレビの定時放送が始まった53年から約10年間に焦点を絞り、その全体像を浮き彫りにしている。テレビは当時、娯楽であり、教養であり、芸術でもあった。ドラマ、ドキュメンタリー、バラエティーはいずれも挑戦的で自由な雰囲気に満ちていて、産業・流通・制度の観点からみても、その未来は誰にも想像できなかった。
テレビはその後、規格化や画一化が進んだが、「メディアの歴史は一定の反復性があるがゆえに、テレビ史からみえるインターネットや動画配信の未来もある」。そして、テレビの原点から再び、放送の未来を想像/創造することもできるはずだ。=朝日新聞2025年2月15日掲載