ネパールを二度訪れ、エヴェレストのベースキャンプで1ヶ月間暮らした経験があるせいか、よく「おすすめのネパール料理は?」と訊かれる。そのたびに、迷わず紹介する店がある。『ナングロガル』──東京・新宿区、新大久保にある本格ネパール料理の店だ。
住んでいるアパートから歩いて10分。日本人には少しクセがあるかもしれないが、ネパールの本場の味が楽しめる貴重な店。新大久保は「リトル・カトマンドゥ」とも呼ばれるほどネパール人の移民が多く、この店もまた、現地の空気を色濃く残している。
大久保通りの雑踏を抜け、少しわかりにくい階段を登る。3階にたどり着くと、そこには「ナングロガル」──ネパール語で「竹の家」 という意味。
扉を開けた瞬間、竹の飾り物が「ナマステ」と迎える。スパイスの香りがふわっと鼻をくすぐり、耳に馴染んだネパール語の会話が聞こえる。
「あぁ、カトマンドゥに帰ってきた」
懐かしさに胸が詰まりそうになる。腰を痛め、登山を諦めた今、もうネパールへ行くことはない。それでも、こうして香りや音に触れるだけで、瞼の奥にカトマンドゥのクラクションと喧騒がよみがえる。
注文したのは チキンのダルバート(650円)。ネパールの国民食であり、日本でいえば味噌汁のような存在。作る人によって味が変わる家庭料理だ。
ダルバートとは、「ひきわり豆のスープとカレー」のこと。大皿に半円形のバート(白米) を盛り、その横にアツァール(辛口の漬物)、タルカリ(ジャガイモ、ニンジン、鶏肉などを炒めたおかず)。さらに、別皿にはダル(豆のスープ) とスパイスで仕上げたカレー。三つの皿が並んだ瞬間、あの日エヴェレストで食べたダルバートの記憶が鮮明に蘇る。
エヴェレストでの食の思い出を綴った電子書籍にも、この味の記憶を書いた。あの時のダルバートに最も近い味を求めて、ここへ来た。
5年ぶりに訪れたナングロガルのダルバートは、少し味が変わっていた。だが、それでも十分に美味しい。ネパール人の味覚も変わっているのかもしれない。日本人の食文化も、昭和から平成、令和へと変化してきた。日本酒の杜氏がこんなことを言っていた。
「昔より脂っこいものや辛いものを好む人が増えた。あっさりした味では満足できなくなり、刺激を求めるようになっている」
豊かになった食生活の影響で、肉やスナック菓子を多く食べるようになったからだろう。ネパール料理もまた、時代とともに変化しているのかもしれない。
あったかいネパール・チャイ。
「懐かしい……」
エヴェレストで毎日飲んでいた。温かいミルクティーにスパイスが香る。この一杯が、寒さと疲れを和らげ、心を満たしてくれた。
最後に、ネパールの定番料理 スープ餃子「モモ」(600円) を注文。
日本人にも馴染みのある味だが、独特のスパイスが効いていて異国の香りがする。
ひとくち頬張ると、肉汁がじゅわっと広がり、ほんのりスパイシーな風味が追いかけてくる。「ミトチャ(美味しい)」 と思わず呟く。
店を出るとき、ネパール人の店員さんに 「ダンネバード(ありがとう)」 と声をかける。もうネパールには行くことはないだろう。ナングロガルは、「もう一つのカトマンドゥ」 だった。
月とクレープ。寄せられたコメント
美味しいご飯を食べるとお腹だけではなく心も満たされる。幸せな気持ちで心をいっぱいにしてくれる、そんな作品。
過去を振り返って嬉しかったとき、辛かったときを思い出すと、そこには一生忘れられない「食」の思い出があることがある。著者にとってのそんな瞬間を切り取った本作は、自分の中に眠っていた「食」の記憶も思い出させてくれる。
大久保に吹くヒマラヤの風
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