琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】70歳のウィキペディアン ☆☆☆☆

・司書にして70歳のウィキペディアン、図書館の魅力を語る。 ・人生がどんどん面白くなる ! ! ウィキペディアンに あなたもなりませんか? ・私は常々知識と経験が豊富でしかも時間のある高齢者こそ、男女を問わずウィキペディアンに相応しいと思っています。(「はじめに」より) ・やればやるほど、ウィキペディアの世界は奥深く際限がないことを感じます。(「あとがき」より)


 インターネット利用者で、『Wikipediaウィキペディア)』を知らない、見たことがない、という人はいないのではないかと思います。
 僕も本当によくお世話になっています。
 歴史上の人物や事件について興味がわいて検索し、Wikipediaでその人の子孫や関連の事件などについて芋づる式に調べていくうちに時間が溶けてしまう、ということがよくあるのです。
 「とりあえずWikipedia」と考える一方で、Wikipediaには、最近話題の事象や人物については、左派と右派、支持者と反対派の編集合戦が繰り広げられたり、書かれている当事者が「事実と違う」ことを指摘していたりすることもけっこうあって、「鵜呑みにはできない」とも思うのです。 
 とはいえ、今や、世界中で、もっとも多くの人が日常的に利用している辞書的なWEBコンテンツであることは、間違いないでしょう。

 Wikipediaを利用する際には、「寄付のお願い」がかなりの頻度で表示されており、寄付を原資に有志が運営していることが明示されているのですが、実際にどんな人が「ウィキペディアン」なのかは、なかなかイメージしにくいのです。
 芸能人であれば熱狂的なファン、歴史的な事象であれば研究者や歴史マニア、というような想像をしてしまうのですが、実際はどうなのか?

 私は司書として、確かな情報を利用者に伝えるのが大事と思って仕事をしてきましたので、ある時たくさんの人が見るウィキペディアを非難したり無視したりするのではなく、ウィキペディアに出典の確かな情報を載せることに人生の時間を使いたい、と考えました。そこでまずウィキペディア自体に書いてある編集のやり方を独学し、いくつかのイベントに参加して先輩方にポイントを教わりながら、記事の執筆と編集を実践してきました。2016年に始めてからこれまでに、新規に記事を作成したり、外国語版から翻訳したり、情報を加筆したりした記事の数が170件ほどになりました。その中でよく分かったのは、ウィキペディアは好き勝手に記事を書いていいわけではなく、様々なポリシーやガイドラインがあること、そして大事なのは「出典」、つまり情報の出所をきちんと書くことでした。
 ウィキペディアの記事を書いたり編集したりする人のことをウィキペディアンといいますが、その様相は一通りではありません。100人いれば100通りのウィキペディアンのスタイルがあります。一方でウィキペディアンの多くは「若い男性」といわれていますが、私は常々知識と経験が豊富でしかも時間のある高齢者こそ、男女を問わずウィキペディアンに相応しいと思っています。そして今現在若い人も、時が経てば必ず高齢者になります。そこで、これからウィキペディアンになってみようという方にとって、私の歩みが何かしらのヒントになればと思い、まとめてみることにしました。


 この本、「70歳のウィキペディアン」である著者が、これまでの半生を振り返りつつ、自身が編集してきた言葉やその内容、それを採り上げた経緯について語ったものです。
 僕はこれを読んで、「自分の価値観を広めるために編集合戦を繰り広げる、活動家のようなウィキペディアン」というのはごく一部でしかないのだな、と分かったような気がします。
 ほとんどのウィキペディアンたちは、自分がこれまでの人生で興味を持ったこと、調べた知識を、Wikipediaの項目として、ごく少数しかいないとしても、同好の士に伝えたい、興味を持つ、広めるきっかけになってほしい、あるいは、記録として後世に残したい、という「善意の伝道者」なのです。実際、「自分が書いた(編集した)項目がネット上に残っていき、『知りたい人』たちの目に触れていく」という以外の報酬がある仕事ではありません。
 でも、力仕事でもなく、お金もかからず、自分の家のパソコンの前から、ささやかにでも世界の役に立てる、という実感を得られるというのは、「自分の知識を活かしたい高齢者に適したボランティア」だと思うのです。

 ただ、それが、「独りよがりな知識や思想」になってはいけない、ということもWikipediaの掟ではあるのです。
 著者は長年、図書館の司書として、検索しやすい索引づくりに従事されていて、「参考文献」の重要性にもしばしば触れておられます。
 Wikipediaは、その項目が生まれるプロセスを考えると、最初から100%正しい内容が書かれるとは限りません。しかしながら、多くの人が書かれた内容を検証することができ、間違いがリアルタイムで検証・訂正されることによって、より正確な内容に近づけていこう、という仕組みになっています。インターネット、そして人間の「集合知」によって支えられているのです。
 そうであるがゆえに、そして、多くの人が訪れる場所であるがゆえに、論争や闘争の場になりやすいのですが。
 亡くなった人をWikipediaで調べると、「亡くなったばかりの人物なので、内容が偏っているリスクがある」という注意書きがあるのも見かけます。

 ちなみに、Wikipediaに書き手として参加するには、Wikipediaの「Wikipedia」という項目のなかの「Wikipediaについて」から、新規参加者への案内「Wikipediaへようこそ」に飛ぶといいそうです。
 僕自身は、自分が書く側に回ることはこれまで考えたことがなかったのですが、「門戸は誰にでも開かれている」ようです。

 著者は、記事を作成・編集する際に独学だけでは不十分と考え、Wikipedia関連のイベントやシンポジウムにも参加されています。
 ウィキペディアンは、情報の選択・編集・整理や参考文献の扱いなど、司書の仕事との相性が良さそうで、同じような仕事をしてきた人たちとの交流ができたり、様々な編集の考え方、テクニックを教わったりもしたとのことでした。

 僕などは、もし自分がある程度長生きしても、ゲートボールとか体操のような運動ものは苦手だしコミュニケーションツールとしてもあまり気乗りしないのですが、こういう他者との繋がりかたもあるのだな、と思いながら読んでいたのです。


 著者が「古賀書店」の記事を作成したときの話。

 東京神田神保町にある古賀書店について知ったのは、おそらく40年以上前のことだと思います。音楽書の専門古書店で、本や雑誌のほかに楽譜も置いてありました。奥の方にはオーケストラのスコア(総譜)もあり、外国の作品だけでなく日本人作曲家の楽譜も見かけました。私がいつも楽しみにしていたのは演奏会プログラム冊子のコーナーで、箱の中に外国の有名なソリストやオーケストラの来日公演プログラムが、1冊ずつビニールの袋に入って並べられていました。多分コレクターが亡くなった後に遺族が手放したものでしょう。その箱を繰っていくと日本人作品の初演演奏会プログラムがたまにあるのです。何度か掘り出し物を見つけて仲間に自慢したものでした。
 その古賀書店が閉店すると聞いたのは、2022年12月始めの事でした。そういえば1年くらい前から立ち寄っても、古い本ではなく新しい楽譜ばかり並んでいたりしたので、客層が変わってしまったのかと気になっていましたが、きっと閉店準備のモードに入っていたのでしょう。友人がフェイスブックで12月末に閉店するらしい、と嘆いていましたが、どうすることもできません。せめてWikipediaに記事でもあればと探しましたが何もないので、これは一つ書いてみようかと思い立ちました。


 著者は「古賀書店」に関する情報を様々なルートから集め(古賀書店が出版した本の書誌は多かったけれど、古賀書店自身について書かれたものは少なかったそうです。2022年12月20日東京新聞に古賀書店閉店の記事が出たことと、その翌21日に、NDL(国立国会図書館)デジタルコレクションがリニューアルされたことが記事を書くための後押しになってくれた、ということでした。
 古賀書店が2022年12月24日に閉店したことを同月27日に確認し、その日の夜に記事「古賀書店」は公開されました。

 翌朝起きて記事を見てみると、既に別のウィキペディアンにより記事が手直しされ、「新しい記事」の候補になっていることもわかりました。そして翌29日には早くも「新しい記事」としてWikipediaメインページに掲載されたのです。ここにのるとたくさんのウィキペディアンの方が見てくださるので、実際に何人かのウィキペディアンによって記事にいくつも手が入り、書誌事項の書き方を教えてくださる方、インフォボックスや写真やカテゴリーを整えてくださる方などいらして、どんどん記事がグレードアップしていきました。Wikipediaは確かに成長する百科事典なのだ、としみじみ感じ、また「集合知」とはこのことか、と実感したものです。こうして日本の音楽史に不可欠な古書店の情報を、ウェブの世界に残すことができました。


 「古賀書店」は、有名な書店で、新聞記事にもなったくらいですから、著者が立項しなくても、誰かが記事を作成していたかもしれません。
 でも、世の中には、「他の誰かが伝えてくれるだろう」「もっと詳しい人がいるはずだから」とみんなが思っているうちに、歴史に埋もれてしまった物事がたくさんあるのです。Wikipediaの日本語版には、「こんなことまで載っているのか」という記事が多いのですが、「えっ、これは無いの?」と意外に感じることもけっこうあります。
 少なくとも、著者は「ずっと通っていた名店の記憶をWEB上に残し、後世の人が知るきっかけを作った」のは間違いありません。
 歴史上の人物や事件についての記事に比べると、長年日常を支えてくれた店舗や商品は、記録に残されにくい。
 人が作った記事にはいろいろ言いやすくても、ゼロからイチを作り上げるのはハードルが高いものですし。
 これって、本当に「お世話になった店への恩返し」だよなあ、と、ちょっとしんみりしてしまいました。

 20代の後半にインターネットに出会い、その面白さに引きずられてここまで生きてくることができてしまった僕にとっては、Wikipediaにささいな貢献をすることで、インターネットや後世の人に恩返しできるのではないか、とも感じました。

 インターネットは、守銭奴陰謀論者がハルマゲドンを繰り広げている「おしまいの場所」みたいなネガティブなイメージを持ってしまいがちだったのですが、2024年でも、インターネットの目立たない道の多くは、善意で舗装されているのです。


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