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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝鮮半島の知られざる歴史を期待したが主に日本側の記録の紹介にとどまり結局実態がわからない。資料が無く仕方ないのかもしれないが現地での詳細が知りたいものだ。今までの見解のまとめになっているだけである。
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大変意義のある本だと思います。勉強になりました。が、難しいテーマだからか、大変真面目な書き振りで、あまり面白さは期待しないほうが良いようです。
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昔は教科書に任那日本府という記述があったが、現在ではないという。歴史的に否定されているようだ。これは、朝鮮半島南部の加耶諸国などに倭系の人々がいたことを歴史書や古墳などからの出土品で検証した本だ。加耶などの諸国は日本では全体で任那という呼ばれていたようだ。これは大和政権の出先官庁ではなかった。しかし倭系の人たちはいて、日本からも交易や出兵などもあったようである。日本は鉄器などで交易できていれば良かったようだった。歴史の霧の向こうの話なので確定的には決められないが、霧の切れ間から少しは見えてきたようである。
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01435072
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本書では、国家・国境や国籍など現在の国民国家的な立場を前提とした解釈ではなく、両属的、あるいはボーダーレスな立場の人々がいたことを、史料から実証・解釈し強調している。(221頁)加耶/任那の小国群にはまとまった史料がなく、複数の史料を組み合わせて読み解くなかで、新羅琴として定着した伽耶琴、加耶の地名がタイトルの作曲の記録があることが印象に残りました。
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研究者の間では常識なのかも知れないが、p102の表「「百済記」を典拠とした『日本書記』の年代移動」にある、干支二巡・干支三巡(120年・180年)遡らせて日本書記を作った、という所が本書で最も得心が行った所だった。
この様な移動は朝鮮関係以外にも、対中国や国内記事にも仕組まれているのかも知れない。日本書記を歴史書と捉えるとありうべからざる事だが、神話と割り切ると神話の創作過程を覗き見る様で、また違った感慨がある。
田村書店千里中央店にて購入。
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紅顔のみぎり、学校で習った「任那」が最近は教えられてないと聞いた。当時の半島には、高句麗と、百済、新羅に任那だと思ってたんだが、どういうことね。
任那は、伽耶ともいう。又は加羅。
確固とした国でもなく、いろんな国の集合体だったようだ。
滅んだ国の伝統を引き継いだ国もないことから、極めて曖昧な存在らしい。日本を含む周辺国の文献に現れる著述を、慎重に分析しているということのようで、任那日本府も、日本の統治機構でなく、府というのは臣のことで、倭国関連の集団があったことだというのが最近の通説らしい。
この薄い本のかなりが過去の研究者の紹介だったり、この記述は信用できる、コレは潤色だよ、と、なんてか、聞きようによっては逆にいいとこ摘んでるようにも思えて、そんな詳細な研究歴史知りたいわけではなく、結局任那って何よ、なんで教科書から消えたのよという疑問は有耶無耶にされた感じで、なんか隣国との歴史すり合わせ集会の話もあって、ああそういうことなんか、と変な方向に得心仕掛けない感じで。
あんまり関係ないが、伽耶っていう名前いいよね。
一夢庵風流記でも、亡国に連なる幸薄い美女の名前にしてたが、いいわ。
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著者ご想像の通り、任那日本府の位置付けが知りたくてこの本を手に取った。わずかな資料しか残されていない中で、ここまで精緻に歴史を再現しているのは驚くほかないが、漠然と当時の状況を理解することはできた。今風に言えば、任那日本府とは「日系移民の自治会」程度の組織に過ぎず、百済と敵対していたが故に百済が十把一絡げで様々な倭系集団をそう総称したものだという。確かに現在の我々の感覚で植民地経営みたいな高度な体制を想定するのは無理があるわな。十分に説得力のある説だと感じる。
それにしてもこんな昔から朝鮮半島と人の往来があったなんてびっくり。どちらかと言えば日本の方が過ごしやすい気候ではないかと思うが、何故に古代日本人は日本海を渡ったのだろうか?次はこんな疑問が浮かんできた。古代日本とその周辺諸国にまつわる謎は尽きるところがない。
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とても面白かった。もちろん、この著者の主張が学説として確定的な立場にあるかというと今後の研究の進展により変わるとは思うが、任那とはなんだったのか、ということに中立的にあたっているので、ミステリーのような面白さも感じた。
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昔、社会科で習った微かな記憶がある「任那日本府」、朝鮮半島に日本の支配地があったとする日本の歴史観と、対立する韓国学者の歴史観との論争を経て(決着はついていないらしいが)実際はこうだったのだろうという筆者の中間的な考えを述べた本。歴史とは時代によって解釈が変わってしまうのに気をつけたい。
それにしても各章扉の文字は大きすぎるのでは?