電子はシュレディンガー方程式やDirac方程式により、あるいは量子電磁気学により
観測値は理論値と一致している。つまり、量子力学モデルにより完全に把握されている。
これを別の見かたで言えば、電子は量子力学のモデルとして理解されいる。電子自体に関する直接的な知識はほかの理解の仕方は存在しない。たとえば、電子の剛体モデルや回転体モデルなどが昔あったが、それは理論上不可能であることが証明されている。
モデルを経由してしか電子は理解できない。これは実在としての「電子」はモデルそのものと乖離がないといっていい。電子の実在性は疑いをはさまない。はさむ余地はない。しかし、電子の振る舞いについて語るなら量子力学モデルでしか語れない。
自然科学におけるモデルはいくつかのタイプがあるが、いずれも研究のために「抽象化」という特徴がある。電子の科学的な特徴はすべてモデルに盛り込まれている。抽象化とは電子の理論の場合、それほど明確ではない。
モデルを通じてしか理解できない存在とはどういうものだろうか?
可触物ではなく、それを直接見ることも味わうこともできない。一連の実験装置によってのみ発生し、観測&計測できる。その実験装置は増幅機能と信号の返還機能がある。
SNSへの情報源シフトによって根拠のない情報が人々の政治的行動を左右するようになった。新興国だけではなくて先進国というそれなりに教育と法制度が定着した国でも活況を示している。
そのなかでDeep Fakeというデジタル技術を駆使したでっち上げ情報が力を振るい始めたのは5年前くらいかな。写真だけではなくて本物と見まごう動画や本人そっくりの音声も使われるようになったのが生成AIの影響である。
道具としてのAIはまさにリアルと妄想の境界を壊しつつある。それは社会の安定性も蝕むようになってきている。
ここで「陰謀論のトレンド」として追加したいのは、「超大国のAIが社会を支配している」というAIシンギュラリティ系の噂だ。やがては、A国の支配者はAIにより指示されているとか、どこかの戦争はAIが勝手に起こした系のデマかせが流行るという予想だ。
ヨーロッパから見た陰謀論の状況はフィンランド人の心理学者がレポートしてきています。下記の本ではオカルトや超能力ネタだけでなく、Qアノンやコロナ流行にまつわる陰謀論がヨーロッパを席捲したかを教えてくれます。
要するに、想像力をかき立てるお話しが人々の関心を惹きつけるのです。そして、暴走するまで突き進んでいるのがアメリカです。連邦議会襲撃事件は安定した社会では起きえなかった。人々の妄想が憎悪により暴走する社会は過去にもありました。
危険な陰謀論というのは権力者への不信と怒りと結びついていますが、どうもアメリカだけでなくヨーロッパでもその兆しがあるようです。
他方、独裁国家はそれを逆手にとることが出来るようです。
ウルリッヒ・ベックの「リスク社会論」(1986)は現代社会の予兆を描いていたといえる。科学技術の拡大とコモディティ化が進行した20世紀後半に、リスクは変容した。
いわゆる成長と発展への巨大な制動力として急速に拡散したのだ。
公害を思い出そう。日本は発祥の地の一つだった。四日市喘息、水俣病等々と各地で工場廃棄物が人々の健康を損ねていった時代。それを「地球温暖化」や「PM2.5」と比べてみよう。
地域の枠を飛び出して、地域と国境、そして海すらも越境している。すなわち危源あるいはリスクは閉じ込められるものではなくなっている。
地球環境問題という総称がかつての公害を圧倒した存在感を持つようになっている。
COVID19も同様であった。一地域に封じ込めてそこで根絶させる…そういう手法が働かなかった。
つまりは、現代文明はリスクの制御に失敗しだしている。
どうして、そういう事態に立ち至ったのか?
核兵器に関するリスクがその拡散問題の分析に向いているようだ。
冷戦時代には五大国(安全保障理事会の常任理事国)が核戦力の保有国であった。
彼らの核への統治力は暫くは機能していた。しかし、原子爆弾の開発に関する技術はプルトニウムの製造という点がボトルネックであったが、容易に模倣できるものになっていった。インドとパキスタンがその悪しきブレイクスルーを成し遂げた。
イスラエルと北朝鮮も核先進国の技術流出により核爆弾を保有するに至った。
「統治能力の喪失」により「機密情報」の流出、それに民族国家の危機感とエゴイズムが動機となって、今のような核兵器の火薬庫のほくち箱状態にいたるのだ。
二つの側面がある。すなわち、危険源の拡散とその便乗もしくは無関心だ。
温暖化ガスの発生源は今や五大陸のどこにもある。そして、その抑制については無関心か便乗が多くの場所と人びとでみられるわけだ。
この拡散をとどめることが出来ないのは現代社会が「成長モデル」のタイプをワンパターンにしているからだ。「豊かさ」の理想像と産業の在り方が決まったあり方なのが
問題だと指摘しておきたい。
韓国はいつまでも与党(国民の力)と野党(民主党)とで睨み合いと足の引っ張り合いが続いている。歴代大統領の多くは恵まれない待遇か拘置所送りにされる。
それはなぜかについては諸説あるが、自分が気の付いた歴史上&地政学的な遠因を
書いておきたい。
「三国史記」という朝鮮古代の史書がある。ほかでもない高句麗、新羅、百済の時代史を扱ったものだ。馬韓弁韓辰韓という呼び名もある。その書によれば三国の時代は紀元前1世紀から紀元後7世紀に新羅により統一されまで八百年にわたる。日本では古墳時代まであたりとされる。
地理的には高句麗が北朝鮮、新羅と百済が韓国に相当することが重要である。
これは古代史に属することだろうと思われるかもしれない。しかし、新羅が滅びて高麗になるときに、この地割はよみがえる。十世紀の出来事だ。中世といっていい。
史書によれば、衰えた「新羅」に対して、「後百済」と「泰封国」が鼎立したとある。新羅と後百済を倒して泰封国の王建が高麗を建国する。
泰封国は後高句麗と称していたことは注目すべきである。
そして、高麗の武将であった李成桂が李氏朝鮮を建国するのは1392年になる。
このように古代の三国時代の名残と文化的な境界は朝鮮半島を三色に染め上げている。韓国は百済系と新羅系が残存していると言ってもよいだろう。
実は韓国人の話では出身地域間の区別は今でも根強いそうだ。
だからこそ、北朝鮮はその文化的アイデンティティは揺らがないし、南側の韓国は西の百済系と東の新羅系とでいがみ合うのではないだろうか?
この短文のもとは金素雲の名著による。この詩人は序文で中世から近代における半島は「伝統の根強さ」が特徴であるとしている。
社会認識の主流はどうやら「物語り」へと巻き戻しているかのようだ。
事実の積み重ねによる客観性な社会の動態の認識はかすれ声になっており、わかりやすい情動的なストーリーが大声で伝えられる。
イスラエルのノヴァ・ハラリの史観『ホモデウス』はフィクションの優越を指摘した。その頃から政治と経済の世界は「物語り」が支配するようになったようだ。
民主主義の亀裂はソーシャルメディアから始まった。知識人や専門家の意見は重さを失った。物語りから外れれば、それは無視されるか攻撃される。
20世紀前半の「大衆の時代」に似ている。権威と権力装置はまとめて敵対視され、群衆の気まぐれと多数性が「民意」とされる。
陰謀論もその流れで勢いをつけている。ファクトチェックは追いつかない。
「社会的真実」は曖昧になった。Facebookが絡んだケンブリッジアナリティクスの選挙不正疑惑もロシアによる選挙介入もどちらもソーシャルメディアによるものだが、因果関係は決着がつかないままだ。
フィクションとノンフィクション、真実と虚偽の境界は誰にも裁決できないないというのが社会的現実となりつつある。
アメリカ社会でそれが顕在化したのは明確だろう。USでは国会議員すらディープステートなどの陰謀論に染まっているのだ。
・貧富の格差の拡大
・公教育の劣化
・地域コミュニティの弱体化
・マスコミュニケーションのシェアダウンとソーシャルメディアの台頭
これらの要素が絡み合い民衆は消え去り、噂に左右される群衆が勢力を増しつつある。
一部の権力を持つ政治家とミリオネアはそれに乗じるわけだが、彼らとて明確なビジョンがあるわけではない。これまでの政策と組織の否定だけが彼らのポリシーだろう。