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加藤東一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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加藤 東一(かとう とういち、1916年大正5年)1月6日 - 1996年平成8年)12月31日 )は、日本画家日展理事長。岐阜県岐阜市出身。

略歴

  • 1916年(大正5年) 漆器商加藤梅太郎・ため夫妻の五男として、岐阜市美殿町で生まれる。兄は日本画家の加藤栄三
  • 1947年昭和22年) 東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)日本画科を卒業。第3回日展「白暮」初出品、初入選。
  • 1948年(昭和23年) 山口蓬春に師事する。
  • 1952年(昭和27年) 第8回日展「草原」特選受賞。
  • 1955年(昭和30年) 第11回日展「砂丘」特選および白寿賞受賞。
  • 1969年(昭和44年) 藤沢市鵠沼に居住。
  • 1970年(昭和45年) 改組第2回日展「残照の浜」内閣総理大臣賞受賞。
  • 1977年(昭和52年) 前年の日展出品作「女人」で日本芸術院賞受賞[1]
  • 1984年(昭和59年) 日本芸術院会員となる。
  • 1989年(平成元年) 日展理事長となる。
  • 1991年(平成3年) 第1回岐阜市民栄誉賞受賞。
  • 1993年(平成5年) 鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画完成。
  • 1995年(平成7年) 文化功労者
  • 1996年(平成8年) 岐阜市名誉市民となる[2]
  • 1996年(平成8年) 肺炎のため没。享年80。勲二等瑞宝章を受ける。
  • 1997年(平成9年) 藤沢市名誉市民となる[3]

その他

関連項目

脚注

  1. ^ 『朝日新聞』1977年3月18日(東京本社発行)朝刊、3頁。
  2. ^ 岐阜市名誉市民”. 岐阜市. 2022年7月30日閲覧。
  3. ^ 名誉市民”. 藤沢市. 2022年7月30日閲覧。

参考文献

  • 油井一人編 『20世紀物故日本画家事典』 美術年鑑社、1998年

外部リンク

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