ひのまる公園
ひのまる公園 HINOMARU PARK | |
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2015年5月 | |
所在地 | |
座標 | 北緯43度6分40.7秒 東経141度21分36.1秒 / 北緯43.111306度 東経141.360028度座標: 北緯43度6分40.7秒 東経141度21分36.1秒 / 北緯43.111306度 東経141.360028度 |
面積 | 31891m2[1] |
前身 | 日の丸農場 |
開園 | 1974年(昭和49年)[1] |
現況 | 年中開放 |
設備・遊具 | 遊水路(7月上旬 - 8月下旬)、少年野球場1面、テニスコート1面、ブランコ、コンビネーション遊具、砂場、鉄棒、シーソー、ジャングルジム、スプリング遊具 |
駐車場 | なし |
ひのまる公園(ひのまるこうえん)は、北海道札幌市東区北41条東10丁目に所在する公園。北辺には北海道道431号丘珠空港線が東西に走り、道路を挟んで反対側には札幌市立栄小学校と烈々布神社がある。
園内にはヤチダモ、ハルニレ、ミズナラなど、25種以上の樹木が約1400本保存されている[1]。
日の丸農場
[編集]ひのまる公園は、明治時代に札幌村3大農場のひとつに数えられた日の丸農場の跡地である[1]。低湿地で農地化に適さなかったため、残されていた場所であった[2]。
日の丸農場の所有者は、三重県出身の松本菊次郎だった[3]。1890年(明治23年)に函館の北海道共同商会に入社した松本は、北海道の土地にリン酸が不足しがちであることを知ると、「日の丸産業」を設立して肥料販売業界に進出した[3]。
1908年(明治41年)11月、浅羽靖から土地を購入した松本は、化学肥料や農業機械の試験場を兼ねて、日の丸農場を開設した[3]。農場の一部は小作地とし、アメリカから輸入したトラクターを導入したほか、真駒内種畜場から得た乳牛を飼育するなど、近代的アメリカ農法を取り入れていた[3]。当初の作物はエンバクが中心だったが、1913年(大正2年)からは創成川の水を引いて造田し、米作へと切り替えていった[3]。
日の丸農場の小作料は他と比べて高かったため、小作争議が絶えなかったという[3]。しかし第2次大戦終結後の農地改革により、農地は20年年賦償還で小作人たちに解放されることとなった[3]。1949年(昭和24年)、用水路を共同管理するため「日の丸水田組合」が結成される[3]。
やがて一帯の宅地化が進行すると、水田は消えて用水路は埋め立てられた。役目を終えた組合は、1972年(昭和47年)、後に公園となる地に「日の丸農場記念之碑」を建てた[2]。
日の丸農場跡は、さっぽろ・ふるさと文化百選のNo.060に選定されている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 片岡秀郎『札幌歴史散歩』ヒルハーフ総合研究所、2012年7月14日。ISBN 978-4-9906400-0-2。
- 『新版 札幌の公園ガイド』北海道新聞社、2014年6月15日。ISBN 978-4-89453-741-5。