コンテンツにスキップ

ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
輝け!!特別生放送
ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!
〜みんなでしあわせになろうね〜
番組の生放送が行われていた新宿コマ劇場
ジャンル 特別番組チャリティー音楽バラエティ番組
出演者 ピンク・レディーほか
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
制作 日本テレビ
放送
放送チャンネル日本テレビ系列
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1978年12月31日
放送時間日曜21:00 - 23:24
放送分144分
回数1回
番組年表
前作コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?(1975年 - 1977年)
次作欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっとばせ!!第1回全日本仮装大賞〜なんかやら仮そう〜(1979年)
テンプレートを表示

ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』(ピンク・レディーあせとなみだのおおみそかひゃくごじゅっぷん)は、1978年12月31日日本テレビ系列で放送された特別番組チャリティー音楽バラエティ番組)である。ピンク・レディー冠番組

正式タイトルは『輝け!!特別生放送 ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!〜みんなでしあわせになろうね〜』(かがやけ!!とくべつなまほうそう - みんなでしあわせになろうね)。

概要

[編集]

ピンク・レディーが1年間の総決算の意味で、大晦日、東京新宿コマ劇場を舞台に、歌と踊りにアニメーションから寄席までを含む、豪華なバラエティーショー[1]

3年間に渡って放送されたコント55号メインの『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』に替わる日本テレビの『NHK紅白歌合戦』対抗番組で、人気絶頂のピンク・レディーをメインにし、目の不自由な子供たちを客の一部に迎え、今までに無い豪華な構成で送る番組。ゲストもベテランやヤング歌手のほか、コメディアン・スポーツ選手など、多彩な顔触れが揃った。

なおピンク・レディーはこの番組のため、この年開催の『第29回NHK紅白歌合戦』の出場を辞退したが、これが後々まで問題を投げかける事になる。

視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ。以下同様)は8.2%を記録し、前年の『なんてことするの』の6.2%を若干上回ったが[2]、ピンク・レディーの大晦日特番は結局これが最初で最後、そして翌1979年には、コント55号の萩本欽一が再登板し、『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっとばせ!!第1回全日本仮装大賞〜なんかやら仮そう〜』を編成、これが好評となり、以後現在まで継続中の『欽ちゃん(&香取慎吾)の全日本仮装大賞』となる。

ステレオ放送について

[編集]

番組が放送されたこの年は、ステレオ放送を始めとする音声多重放送の実用化試験放送が開始(日本テレビは9月28日に開始。日本初。)した時で、まだ音声多重放送が珍しい時期ではあったが、日本テレビは新しい媒体が導入されると、それを使った放送を積極的に行う施策を取っていることもあり、当番組もそれに沿ってステレオ放送で行われた。

又、10月1日に大阪で同放送を開始した、日テレ系の準キー局である読売テレビも、東京からの同時生放送ネット番組では初めてのステレオ放送を行った。これは放送当時、電電公社の一般のテレビネット回線が未だステレオ放送には未対応(東京→大阪に於いては、二か国語放送は既に対応済)の状況だった為、この時は臨時として、東京→大阪のテレビでのステレオの同時ネット放送が、裏番組であるNHK大阪の総合テレビの「第29回NHK紅白歌合戦」と同時に行われた[3]。(ちなみに、同回線が東名阪及び北陸(金沢)回りのループ回線として正式開通したのは、翌年の8月8日のことである[4][5]。)

放送時間

[編集]

日曜21:00 - 23:24(JST

メイン

[編集]

2人は直前まで放送されていた『第20回日本レコード大賞』(TBS系列)に出演し、「UFO」でレコード大賞を受賞後、『レコ大』会場の帝国劇場からコマ劇まで大急ぎで駆けつけた。

ゲスト

[編集]

この他ラストの「汗と涙のグランドフィナーレ」には、この後23:45から始まる全民放テレビ放送年越し番組ゆく年くる年』(この年の制作権はテレビ朝日)の総合司会・萩本欽一と檀ふみが出演し、引継ぎを行った。なお『ゆく年くる年』にはピンク・レディーも出演した。

各コーナー

[編集]
  • ヤング大集合!水着美女が大フィーバー 今年のディスコ・クイーンコンテスト(「晴海ドウ・スポーツプラザ」より中継)
  • ピンク・レディーが歌う今年のヒット曲とタモリ教授の'78年総まくり
  • 歌とアニメーションで描く愛のテーマ
  • '78年スポーツ界紅白歌合戦
  • ピンク'78年忘れ寄席
  • ピンクオンステージ(ピンク・レディーのヒット曲総登場)
  • ピンク・レディーと共に 懐かしのポップス・メドレー
  • 念願のチャリティー報告
  • さようなら1978年 汗と涙のグランドフィナーレ[6]

脚注

[編集]
  1. ^ 1978年12月31日付の「東京新聞」テレビ欄。
  2. ^ 読売新聞』1979年1月4日付夕刊、6頁、1979年1月6日付夕刊、7頁。
  3. ^ 朝日新聞大阪版 1978年12月31日 朝刊P.16 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  4. ^ 日本民間放送連盟(編)「ズーム・アップ テレビ音声多重中継回線開通へ / K」『月刊民放』第9巻第8号、日本民間放送連盟、1979年8月1日、7頁、NDLJP:3470924/4 
  5. ^ 日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2023年11月14日閲覧。
  6. ^ a b 参考:1978年12月31日付「東京新聞」14面掲載の番組広告。

関連項目

[編集]
日本テレビ 大晦日21:00 - 23:24枠
前番組 番組名 次番組
輝け!!特別生放送
ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!
〜みんなでしあわせになろうね〜
(1978年)
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy