コンテンツにスキップ

ランドン・ドノバン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ランドン・ドノヴァン
名前
本名 ランドン・ティモシー・ドノヴァン
Landon Timothy Donovan
ラテン文字 Landon DONOVAN
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カナダの旗 カナダ
生年月日 (1982-03-04) 1982年3月4日(42歳)
出身地 オンタリオ
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足 右足
ユース
1999 アメリカ合衆国の旗 IMGアカデミー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2004 ドイツの旗 レヴァークーゼンII 28 (9)
2001-2004 アメリカ合衆国の旗 サンノゼ・アースクエイクス(loan) 87 (32)
2004-2005 ドイツの旗 レヴァークーゼン 7 (0)
2005-2014 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 229 (105)
2009 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン (loan) 6 (0)
2010 イングランドの旗 エヴァートン (loan) 10 (2)
2012 イングランドの旗 エヴァートン (loan) 7 (0)
2016 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 6 (1)
2018 メキシコの旗 クルブ・レオン 6 (0)
2019 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ・ソッカーズ (インドアサッカー) 8 (5)
通算 412 (161)
代表歴
1998-1999 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 U-17 41 (35)
2001 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 U-20 4 (0)
2000-2004 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 U-23 15 (9)
2000-2014 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 157 (57)
2019 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 (インドアサッカー) 1 (0)
監督歴
2020- アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ・ロイヤルSC英語版
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月19日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ランドン・ドノヴァン(Landon Timothy Donovan, 1982年3月4日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMFFW。元アメリカ代表であり、同代表の歴代最多得点記録、歴代最多アシスト記録保持者である。

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

国際大会での活躍がスカウトの目に止まり、1999年ドイツバイエル・レバークーゼンと6年契約を結ぶ。しかし、ドイツの環境になじめず、ホームシックを理由にアメリカに帰国。2001年MLSサンノゼ・アースクエイクスレンタル移籍すると、本来の持ち味を生かし主力として活躍し、2001年のチームのMLS制覇に貢献した。このシーズンのオールスターゲームでは僅か18分でハットトリックを達成し、さらにもう1ゴールで計4ゴールを決めMVPに選出された。2003年2004年には2年連続でUSサッカーアスリートオブザイヤーを受賞した。

2005年1月、レバークーゼンに復帰し、ブンデスリーガデビューを果たすも、7試合に出場したのみで米国復帰を選択。シーズン開幕直前にロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍が成立した。

2009年1月からMLSの開幕までという条件でバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍し、リーグ戦5試合に出場。2010年1月にはプレミアリーグエヴァートンへ期限付き移籍をした。ここでは13試合に出場して2得点を記録、1月にはクラブの月間最優秀選手に選ばれるなど活躍した。エヴァートンはレンタルの継続を望んだが、シーズン開幕を前にしたLAギャラクシーは拒否した。2012年1月にもエヴァートンにレンタル移籍した。

2014年8月7日、2014年内での現役引退を発表した[1]

2016年9月8日、LAギャラクシーは、ドノバンが現役に復帰し今シーズンの残りの期間をプレーすることを発表した[2]。ドノバンはその期間の6試合とプレーオフ3試合に全て出場した後、二度目の現役引退をした。

2018年1月12日、リーガMXクルブ・レオンと契約し、2度目の現役復帰を果たした[3]。同年7月に三度目の現役引退をした。

2019年1月23日、インドアサッカーのプロリーグであるアメリカ・メジャーアリーナサッカーリーグ(MASL)のサンディエゴ・ソッカーズに加入すると発表され、3度目の現役復帰となった[4]。同年に四度目の現役引退をした。

代表

[編集]

1999年FIFA U-17世界選手権ニュージーランド大会でMVPを獲得するなど、世代別代表でプレー。2000年シドニー五輪ではチームの中心として活躍するも、4位となりメダルを逃す。

2000年10月25日メキシコとの親善試合でアメリカA代表デビューし、この試合で代表初ゴールを記録。2002年日韓W杯では全5試合に出場、2得点を挙げてチームのベスト8入りに貢献した。この活躍で弱冠20歳でアメリカ最優秀選手にも選ばれている。

2006年にはアメリカ代表として26個目のアシストを決め、コビ・ジョーンズの記録を塗り替えた。また、2002年2005年2007年ゴールドカップ優勝、2009年コンフェデレーションズカップ準優勝に大きく貢献する。

2010年南アフリカW杯でもチームの中心選手として活躍し、グループステージのスロベニア戦では2点差から詰め寄るゴール。グループステージ最終戦のアルジェリア戦では試合終了間際のロスタイムに劇的な先制ゴールを決め、グループステージ敗退の危機からグループリーグ1位突破に導き、実況アナウンサーは「アメリカン・ヒーロー!!!」と叫んだ。その後は決勝トーナメント1回戦のガーナ戦でも同点のPKを決め大会通算3得点目を挙げたが、チームは延長戦の末に敗北した。

アメリカ代表として長年主力として活躍し発表前の合宿にも招集されていたが2014年ブラジルW杯ではユルゲン・クリンスマン監督により本大会メンバーから外された[5]。その後不満のコメントを公表した。これに対し、クリンスマンの息子ジョナサン・クリンスマンが、自身のツイッターで父の判断を支持した上で、ドノバンを小馬鹿にするような書き込みをしたことで大騒動になった。その後、2016年の代表引退試合の際に、クリンスマンが代表を外した事と息子の愚行を謝罪することになった。

人物

[編集]

アメリカ代表歴代最多得点記録、歴代最多アシスト記録保持者であるアメリカの英雄で国民からは「アメリカンヒーロー」と敬われている。 50mを5秒80で走る俊足の持ち主。父親はカナダ出身でアイスホッケーのセミプロ選手であった。

獲得タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
サンノゼ・アースクエイクス
ロサンゼルス・ギャラクシー

代表

[編集]

個人

[編集]
  • 1999 FIFA U-17世界選手権 最優秀選手: 1999
  • MLSオールスターゲームMVP: 2001, 2014
  • FIFAワールドカップベストヤングプレイヤー: 2002
  • MLSベストイレブン: 2003, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2014
  • MLSカップMVP: 2003, 2011
  • アメリカ年間最優秀選手: 2003, 2004, 2009, 2010
  • CONCACAFゴールドカップ ベストイレブン: 2002, 2003, 2005, 2013
  • CONCACAFゴールドカップ 得点王: 2003, 2005, 2013
  • CONCACAFゴールドカップMVP: 2013
  • MLS歴代ベストイレブン
  • ホンダ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー: 2002, 2003, 2004, 2007, 2008, 2009, 2010
  • MLS得点王: 2008
  • MLS最優秀選手賞: 2009

代表歴

[編集]
アメリカ代表でのドノバン

出場大会

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy