コンテンツにスキップ

三村庸平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三村庸平 (1991)

三村 庸平(みむら ようへい、大正6年(1917年4月17日 - 平成18年(2006年5月22日)は、日本の実業家。三菱商事社長、「三菱金曜会」世話人。勲一等瑞宝章阪急電鉄元社長・会長の小林公平は実弟。

経歴

[編集]

東京出身。実家は大分県臼杵市。昭和15年(1940年)に慶應義塾大学経済学部卒業。三菱商事に入社し、南方に派遣。敗戦後、財閥解体で立ち上がった明光商事に入社。昭和29年(1954年)に統合で復活した三菱商事の水産部長、ソウル支店長、米国三菱商事社長、本社副社長を経て1980年に社長に就任。中国事務所の設置等に尽力し、1986年の会長就任後には三菱グループの「金曜会」世話人となる。 1987年に刊行された三菱商事社史の題字は三村の揮毫である。

1985年から日本貿易会会長、慶應義塾評議員会議長。

1988年からアジア経済研究所会長[1]

平成2年(1990年)4月29日に勲一等を下賜された。

2006年5月22日、急性肺炎のため死去[2]、89歳。

家族

[編集]
祖父の君平

参考文献

[編集]
  • 『年刊人物情報事典』 第2巻 日外アソシエーツ 1981年

脚注

[編集]
  1. ^ 「資料2  役員就任年表 (409KB)」-アジア経済研究所の30年の歩み-
  2. ^ “三村庸平氏が死去 元三菱商事社長”. 共同通信. (2006年5月25日). https://web.archive.org/web/20141129014717/http://www.47news.jp/CN/200605/CN2006052501003362.html 2014年11月14日閲覧。 
  3. ^ 日本工業倶楽部『会員追悼録』1925、p21
  4. ^ a b 三村君平『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  5. ^ 三村庸平氏(三菱商事元社長)22日死去日本食糧新聞 2006.05.31
  6. ^ a b c d e 『人事興信録』第43巻下 三村庸平
  7. ^ 『人事興信録』第38巻上 緒明泰平
  8. ^ 三島市長、三島市議会議長・副議長に、楽寿園に隣接する「街の森」を「緒明の森」に名称変更する「要望書」を提出グラウンドワーク三島 2017/9/26
  9. ^ 松岡修造系図近現代系図ワールド
  10. ^ 『人事興信録』第43巻下 三村隆平
  11. ^ 三村準平君『大日本人物史 昭和5年度版 増訂第3版』新田宗盛 帝国時事通信社 昭和4


先代
水上達三
日本貿易会会長
第4代:1985年 - 1992年
次代
江尻宏一郎
先代
篠原三代平
アジア経済研究所会長
第5代:1988年 - 1998年
次代
日本貿易振興会に統合
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy