コンテンツにスキップ

光武顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光武顕
みつたけ あきら
佐世保市長時代の2001年9月、同市にて
生年月日 (1931-03-27) 1931年3月27日(93歳)
出生地 長崎県佐世保市
出身校 東京大学大学院社会科学系修士課程
所属政党 無所属

第25-27代佐世保市長
当選回数 3回
在任期間 1995年4月30日 - 2007年4月29日

日本の旗 衆議院議員
当選回数 1回
在任期間 1990年 - 1993年
テンプレートを表示

光武 顕(みつたけ あきら、1931年昭和6年)3月27日[1] - )は、日本政治家。元衆議院議員(1期)、長崎県議会議員(4期)、元佐世保市長(3期)。

略歴

[編集]

長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保南高等学校を経て、東京大学大学院社会科学系修士課程修了。長崎県職員、佐世保市職員等を経て、長崎県議会議員選挙に立候補し当選。以後4期15年(1971-1986年)務めた。

県議4期目の途中、1986年第38回衆議院議員総選挙へ立候補するが落選。4年後、1990年衆議院議員選挙で初当選(無所属、当選後自由民主党に入党)。しかし1993年衆議院議員選挙で再び落選し、国政から退く。

1995年に佐世保市長選挙に当選、以後3期連続当選。市長在任中は、公共事業などのハード面をおさえ、介護保険や育児などの福祉面に力を入れた。高度な福祉や、ハウステンボス九十九島佐世保バーガーなどを活かした観光政策により、佐世保は全国から注目される都市ともなった。

3期目の任期満了を前にした2006年8月22日、記者会見で翌2007年の市長選挙に出馬しないことを表明をし、自らの市政の後継者として、佐世保市前助役の野口日朗を指名したが、4月22日投開票の同選挙で野口は前県議会議員の朝長則男に惜敗した。

将棋はアマ五段の腕前で、同じ長崎県選出の元衆議院議員である久間章生(元防衛大臣)とは議員時代の将棋仲間でもあり、旧知の間柄。

脚注

[編集]
  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、411頁。


公職
先代
桟熊獅
佐世保市旗長崎県佐世保市長
1995年 - 2007年
次代
朝長則男
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy