北川法夫
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北川 法夫 きたかわ のりお | |
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生年月日 | 1948年9月10日(76歳) |
出生地 | 大阪府寝屋川市 |
出身校 |
関西大学商学部 関西大学経済学部 |
前職 | 衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 旭日中綬章 |
子女 | 北川晋平(次男) |
親族 |
父・北川石松(衆議院議員) 弟・北川知克(衆議院議員) |
公式サイト | 寝屋川市長 北川法夫のホームページ |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2015年5月29日 - 2019年5月28日 |
第102代 大阪府議会議長 | |
在任期間 | 2006年5月 - 2007年5月 |
選挙区 | 寝屋川市選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1983年4月 - 1987年4月 1991年4月 - 2015年2月16日 |
北川 法夫(きたかわ のりお[1]、1948年9月10日[2] - )は、日本の政治家。大阪府寝屋川市長(1期)、大阪府議会議員(7期)、大阪府議会議長(第102代)、自由民主党大阪府支部連合会幹事長などを歴任。
父親は元衆議院議員であり第24代環境庁長官の北川石松。弟は元衆議院議員の北川知克。
来歴
[編集]大阪府寝屋川市出身。市立西小学校、市立第二中学校、関西大学第一高等学校卒業。1971年3月、関西大学商学部卒業。1973年3月、同大学経済学部卒業。1976年、父親の北川石松衆議院議員の公設第一秘書となる[3]。
1983年4月、大阪府議会議員選挙に出馬し初当選。1987年の府議選では落選するも、1991年の選挙で返り咲く。
2015年2月16日、大阪府議を辞職[4]。同年4月26日に行われた寝屋川市長選挙に無所属(自由民主党推薦・日本共産党支援[5])で出馬。元寝屋川市議の南部創、元寝屋川市議で大阪維新の会推薦の宮本正一らを僅差で破り、初当選を果たした[6]。5月29日、市長就任[7]。
※当日有権者数:193,465人 最終投票率:49.54%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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北川法夫 | 66 | 無所属 | 新 | 33,710票 | 36.06% | (推薦)自由民主党 |
南部創 | 51 | 無所属 | 新 | 32,476票 | 34.74% | |
宮本正一 | 47 | 無所属 | 新 | 27,299票 | 29.20% | (推薦)大阪維新の会 |
2018年12月26日、弟の北川知克衆議院議員が死去すると、2019年2月4日に、知克の死去に伴う大阪12区補欠選挙に次男の北川晋平(知克の甥)が立候補する意向を表明した[8]。
同年3月3日、衆議院補欠選挙で北川晋平を応援することを念頭に「他党の批判をすることになる。(他党との協力を得ながら市政を進める)市長の立場でやるのは好ましくない」と述べ、任期満了に伴う寝屋川市長選への出馬見送りを表明[9]。なお、補欠選挙で次男の晋平は落選している。
脚注
[編集]- ^ 市長のプロフィール/寝屋川市ホームページ
- ^ 北川法夫のプロフィール|Ameba (アメーバ)
- ^ a b 北川法夫略歴
- ^ 大阪府/報道発表資料/辞職した議員の政務活動費収支報告書等の閲覧について
- ^ 共産党が推薦・支持・支援する区市町村長選の候補者 - 日本共産党
- ^ “大阪維新系3候補が全敗 自民と対決の府下市長選”. 産経新聞. (2015年4月26日) 2015年6月3日閲覧。
- ^ 議員・首長の任期満了日 - 大阪府
- ^ “北川氏おいが出馬表明 自民擁立、衆院大阪12区”. 日本経済新聞. (2019年2月4日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ “寝屋川市長が立候補取りやめ 衆院補選で次男出馬考慮”. 産経新聞. (2019年3月4日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ 令和2年春の叙勲受章者名簿
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 寝屋川市長 北川法夫のホームページ(※htmlソースのタイトルより)
議会 | ||
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先代 美坂房洋 |
大阪府議会議長 第102代:2006年 - 2007年 |
次代 岩見星光 |