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塩崎剛三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塩崎 剛三(しおざき ごうぞう、1957年9月13日 - )は、日本のゲーム開発者、雑誌編集者、ライター。

ペンネーム東府屋ファミ坊(とうふやファミぼう)。パソコン雑誌「月刊ログイン」内にファミリーコンピュータ専門のコーナーを作ることになった1985年2月、兄貴分「ビデオゲーム通信」の主幹「雷門ビデ坊」(野々村文宏)のようなコーナー担当者名が必要となったため、急遽伊豆をドライブしながら名付けたという逸話がある[1]

経歴

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1983年(昭和58年)、早稲田大学卒業後、アスキーに入社。ログイン編集部に配属される。入社前からアスキーでアルバイトをしていて、同誌の編集長である小島文隆は「アルバイト時代からプログラムもできるし原稿も書けた」[2]として塩崎を評価し、雑誌作りだけでなくゲームソフトの開発にも力を発揮する[2][3]

1986年(昭和61年)6月には同誌の一コーナーであった「ファミコン通信」を、完全隔週誌として独立雑誌化させる。ただし、ファミコン雑誌の創刊ラッシュに乗り遅れて、最下位4番手からの苦しい船出となった[4]。1987年に副編集長(1987-1989)に就任、1989年(平成元年)には初代編集長の小島の跡を継いで、二代目編集長(1989-1992)に就任する。実際には創刊時から小島が編集部内で指揮することは少なく、塩崎が事実上の編集長として采配を振るっていたという [5]。小島と塩崎の結束は固く、社内では「小島組」と呼ばれていた。

1991年(平成3年)のファミ通が週刊化の際には「ゲーム誌はファミコン通信でウッドボール(木毬=きまり)だな」というキャッチコピーを考えた[6]。そのことからファミ通誌面では「ウッド尊師」の名で呼ばれることもあった。

編集業務の傍ら、ゲーム開発も積極的にこなすようになる。

1983年(昭和58年)、ログイン10月号の取材記事、「スターゲームデザイナー登場」で堀井雄二と知り合い、北海道へのシナリオハンティングを経てアドベンチャーゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』(1985年アスキー)を開発スタート[7]。以降、ログイン同年12月号以降でロケハン記事を複数回特集し、堀井雄二の新連載コラム「ゆう坊の虹色ディップスイッチ」でも、積極的にオホーツクのネタを展開、雑誌連動型ゲーム企画開発の新しい形を提示していった。

以降、堀井雄二とは「いただきストリート~私のお店によってって」(1991年)『いただきストリート2 〜ネオンサインはバラ色に〜』(1994年)などでも、開発を共にする。

ボードゲームの開発にも積極的に取り組んでおり、「メタルマックス」のデザイナーである宮岡寛などとともに、「タワードリーム」(アスキー)、「天空のレストラン 」(メディアファクトリー)などの複数のボードゲームを完成させた。

1985年(昭和60年)からの攻略本ブームの先駆けとなった「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」での編集経験を活かした、自分が携わったゲームの攻略本を自分で編集して創り上げるという図式は、塩崎独特のものである[8]

食通でも知られ[要出典]ファミ通のクロスレビュー担当時の近況コメントは毎回、食べ物に関する話であった。

競馬好きであり、1995年(平成7年)には競馬雑誌『サラブレ』の創刊に携わる[9]

アスキーではゲーム雑誌担当の取締役となっていたが[10]、経営方針で社内対立により1996年6月に退任、新会社アクセラ(1996-2000)を7月に設立し、同社の副社長を務めた[10]。アクセラでは「クリゲ」、「週刊TV Gamer」等の創刊に携わる。

主な編集

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(アスキー時代 1983-1996)

(アクセラ時代 1996-2000)

ゲーム

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ゲームデザイン・プログラミング

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プロデュース

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監修・QC(クオリティ・コントロール)

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著書

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  • 『198Xのファミコン狂騒曲』SBクリエイティブ、2024年。ISBN 978-4-8156-2795-9 

脚注

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  1. ^ 『198Xのファミコン狂騒曲』40ページ
  2. ^ a b 日本経済新聞1996年7月24日付夕刊「ひと News」
  3. ^ 「プログラムオリンピック2 バカが付くほど陽気で明るい月刊ログイン編集部の『YANM』で遊んでね」『ログイン』1985年10月号、p.119
  4. ^ 『198Xのファミコン狂騒曲』106ページ
  5. ^ 田原誠司『1989年のファミコン通信』エンターブレイン、2013年、pp.54、74-76
  6. ^ 【注・巨大画像】ウッドボール触接地雷魚信管
  7. ^ 堀井雄二『虹色ディップスイッチ ファミコン業界クエスト』アスキー、1990年、pp.4-6
  8. ^ 『198Xのファミコン狂騒曲』222ページ
  9. ^ 黒川文雄のエンタメ偉人伝
  10. ^ a b 「またも役員に逃げられたアスキー・西和彦の『人徳』」『経済界』1996年6月25日号、pp.40-43
  11. ^ 「コンピュータでゲームをつくるには、どのようなテクニックが必要なのか?」『ASCII別冊ログイン』NO.2、1982年、pp.188-195
  12. ^ 堀井雄二『虹色ディップスイッチ ファミコン業界クエスト』アスキー、1990年、p.118

外部リンク

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先代
小島ファミ隆
週刊ファミ通編集長
1989年 - 1992年
次代
浜村通信
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