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大野俊三 (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野 俊三
名前
カタカナ オオノ シュンゾウ
ラテン文字 ONO Shunzo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-03-29) 1965年3月29日(59歳)
出身地 千葉県船橋市
身長 177cm[1]
体重 79kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 左足
ユース
1980-1982 日本の旗 習志野高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1995 日本の旗 住友/鹿島アントラーズ
1996 日本の旗 京都パープルサンガ 10 (0)
通算 10 (0)
代表歴
1993 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF

来歴

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習志野高校出身で、同級生に藤川久孝がいる。卒業後に住友金属工業に入社し住友金属工業蹴球団に入部。1992年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約を結んだ。鹿島では、奥野僚右杉山誠とコンビを組み、ヘディングや1on1に強く[2]、パワフルで粘り強いマンマークとロングスローで[3]ディフェンダー(センターバック)として活躍し、チームの黄金期を支えた。1993年、Jリーグ1stステージで大きく成長、守備面でチームの優勝に大きく貢献[2]日本代表にも選出され、国際Aマッチの出場こそ無かったものの、同年10月28日のドーハの悲劇もメンバーの一人として経験している。

しかし、1995年のNICOSシリーズよりモーゼルが加入した頃から、スタメンから外れる事が多くなった。1996年京都パープルサンガへ移籍。序盤は活躍したものの、連敗脱出のためにシーズン中に各クラブから選手を補強していった頃から、スタメンから外れる事が増え、同年限りで現役を引退した。引退後も育成部スタッフとしてクラブに残った[4]

その後は居酒屋店主・茨城放送の解説者などを経て、現在は茨城県鹿嶋市のスポーツ施設・「鹿島ハイツスポーツプラザ 」の支配人を辞任しております。

所属クラブ

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個人タイトル

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1983 住金 JSL2部
1984
1985 JSL1部
1986 JSL2部
1987-88 JSL1部
1988-89
1989-90 JSL2部 30 6 1 0
1990-91 5 25 0 2 0
1991-92 26 2 2 0
1992 鹿島 - J - 6 0 1 0 7 0
1993 35 1 0 0 5 0 40 1
1994 29 0 1 0 0 0 30 0
1995 25 0 - 0 0 25 0
1996 京都 10 0 4 0 2 0 16 0
通算 日本 J 99 1 11 0 8 0 118 1
日本 JSL1部 44 0
日本 JSL2部
総通算

その他の公式戦

代表歴

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参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1996』p82
  2. ^ a b サッカーマガジン 1993年8月19日 no.422号 142-143
  3. ^ 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』p22
  4. ^ 『Jリーグオフィシャルガイド1997』p144

関連項目

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外部リンク

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