大野明
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大野 明 おおの あきら | |
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生年月日 | 1928年11月13日 |
出生地 | 岐阜県山県郡(現山県市) |
没年月日 | 1996年2月5日(67歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
前職 | 衆議院議員議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(無派閥) |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 衆議院永年在職議員 |
配偶者 | 妻・大野つや子(参議院議員) |
子女 | 次男・大野泰正(参議院議員) |
親族 | 父・大野伴睦(衆議院議長) |
第63代 運輸大臣 | |
内閣 | 第2次海部内閣 |
在任期間 | 1990年2月28日 - 1990年12月29日 |
第45代 労働大臣 | |
内閣 | 第1次中曽根内閣 |
在任期間 | 1982年11月27日 - 1983年12月27日 |
選挙区 | 岐阜県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月 - 1996年2月5日 |
選挙区 | 旧岐阜1区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 |
1964年6月 - 1983年11月28日 1986年7月6日 - 1993年6月18日 |
大野 明(おおの あきら、1928年11月13日 - 1996年2月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。
衆議院議員(9期)。参議院議員(1期)。労働大臣(第45代)。運輸大臣(第63代)。
来歴・人物
[編集]岐阜県山県郡美山町生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、父の秘書を務める[1]。1956年11月、大野つや子と結婚。
1964年、父の死去に伴い、後継者として第30回衆議院議員総選挙岐阜1区補欠選挙に自由民主党から立候補し初当選。
1982年、第1次中曽根内閣の労働大臣として初入閣。1983年の第37回衆議院議員総選挙では現職閣僚でありながら落選。
1986年、第38回衆議院議員総選挙で当選。1990年、第2次海部内閣で運輸大臣を務める。1992年、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された[2]。1993年の第40回衆議院議員総選挙では新党ブームと野田聖子の初当選もあり落選する。
1995年の第17回参議院議員通常選挙岐阜県選挙区に立候補し当選。
議員在職中の1996年2月4日夜、家族や知人とドライブや食事をした後、帰宅の途中に急に息苦しくなり病院に搬送されたが、翌5日、急性心筋梗塞のため、死去した[1]。67歳没。死没日をもって正三位に叙され、勲一等旭日大綬章を追贈された[3]。哀悼演説は同月23日の参議院本会議で、平井卓志により行われた。
同年3月、死去に伴う参議院岐阜県選挙区補欠選挙で妻のつや子が後継として立候補し当選、参議院議員として通算2期務めた。
家族
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 第136回国会 参議院 本会議 第6号 平成8年2月23日
- ^ 第123回国会 議院運営委員会 第16号
- ^ 『官報』第1835号7-9頁 平成8年2月21日号
公職 | ||
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先代 江藤隆美 |
運輸大臣 第63代:1990年 |
次代 村岡兼造 |
先代 初村滝一郎 |
労働大臣 第45代:1982年 - 1983年 |
次代 坂本三十次 |
議会 | ||
先代 奥田敬和 |
衆議院予算委員長 1988年 - 1989年 |
次代 中尾栄一 |
先代 中川一郎 |
衆議院運輸委員長 1976年 - 1978年 |
次代 増岡博之 |
先代 野原正勝 |
衆議院社会労働委員長 1975年 - 1976年 |
次代 熊谷義雄 |