太田隆文
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おおた たかふみ 太田 隆文 | |
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生年月日 | 1961年 |
出生地 | 日本・和歌山県田辺市 |
職業 | 映画監督・脚本家 |
活動期間 | 1998年 - |
太田 隆文(おおた たかふみ、1961年 - )は、和歌山県田辺市出身の日本の映画監督・脚本家[1]。
来歴
[編集]- 4歳のとき和歌山市へ引っ越し、その後も日本国内を転々とする。1985年にアメリカの南カリフォルニア大学映画科へ留学し、ハリウッド式の映画作りを学ぶ。
- 帰国後、1995年にハリウッド制作時代劇『GAI-JIN・開国』(米NBC)にスタッフとして参加する。同年、水野美紀主演のユーモア・ミステリー『アルティメット・クライシス』で脚本家デビューする。その後、『女子高生コンクリート詰め殺人事件』などを担当する。
- 1998年、連続テレビドラマ『風の娘たち』で監督デビューする。その後、モーニング娘。のドキュメンタリーなどで活躍、「若い女の子をいきいきと描く」と高い評価を得る。
- 2003年には大林宣彦監督の『理由』のドキュメンタリーを担当する。他にも『怪談新耳袋』などを手がけ、ホラー演出で評価される。
- 2001年より、自らプロデュサーとなり製作費を集め、6年がかりで故郷の田辺市を舞台にした青春ファンタジー映画『ストロベリーフィールズ』を監督する。
- 2006年、『ストロベリーフィールズ』が公開され、劇場映画デビューを果たす。同作品は和歌山、東京、名古屋、大阪、札幌、福井で公開され、カンヌ映画祭のフィルムマーケットでも上映された。その後、出演者の谷村美月、佐津川愛美らメイン俳優4人もブレイクし、新人女優発掘監督としても注目を浴びる。
- 2007年、地元の和歌山県から、きのくに芸術賞を受賞する。
- 2010年、4年がかりで青春映画『青い青い空』を製作、監督する。ロケ地の浜松市で10月に公開、3ヶ月を超えるロングランとなり、2万人が劇場に足を運んだ。
- 2011年3月、『青い青い空』東京公開。4月、ロサンゼルスで開催されたジャパン・フィルム・フェスティバルで上映。
- 2013年9月、『朝日のあたる家』全国公開[2]。
- 2014年、『向日葵の丘・1983年夏』撮影(2015年夏公開)[3]
監督作品
[編集]映画
[編集]- ホラ! 天使がやって来た!(どりいむ・めいかあFILM、1982年) 監督、脚本
- バイバイ・ミルキー・ウェイ(1983年)監督、脚本
- ストロベリーフィールズ(製作委員会、2006年) 監督、脚本、編集
- 青い青い空(製作委員会、2010年) 監督、脚本、編集、製作
- 朝日のあたる家(2013年) 監督、脚本、編集、製作
- 向日葵の丘 1983年夏(2015年)監督、脚本、編集、製作
- 明日にかける橋 1989年の想い出(2018年)監督、脚本、編集、プロデューサー
- ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶(2020年)監督
テレビドラマ
[編集]ドキュメンタリー
[編集]- キズナのチカラ/熱血書道教師と新しい書道の形(2008年)
メイキング
[編集]ビデオ
[編集]- 82分署/Rebirth(マクザム、1996年)
- Zero WOMAN/消せない記憶(マクザム、1997年)
- 女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち(東京計画、1995年)
- アルティメット・クライシス 金田一智子のア・ブ・ナ・イ仕事(東京計画、1995年)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 映画「向日葵の丘・1983年夏」監督日記
- 映画「朝日のあたる家」監督日記
- 太田隆文監督の映画「青い青い空」日記
- 太田隆文監督の映画「ストロベリーフィールズ」日記
- 太田隆文 (@ota_director) - X(旧Twitter)