小林武史
小林 武史 | |
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出生名 | 小林 武史 |
生誕 | 1959年6月7日(65歳) |
出身地 | 日本・山形県新庄市 |
学歴 | 山形県立新庄北高等学校卒業 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1980年 - |
事務所 | 烏龍舎 |
共同作業者 |
小林 武史(こばやし たけし、1959年6月7日 - )は、日本の音楽プロデューサー・ソングライター・編曲家・キーボーディスト。山形県新庄市出身。山形県立新庄北高等学校卒業。烏龍舎代表取締役社長。ap bank代表理事。日本音楽制作者連盟理事。Bank Band、Reborn-Art Session、YEN TOWN BAND、Lily Chou-Chou、BRADBERRY ORCHESTRAのメンバー。また、My Little Loverの元メンバー。
サザンオールスターズやMr.Childrenを手がけ、日本の音楽業界を代表するプロデューサーとして広く知られている。
経歴
[編集]音楽業歴
[編集]5歳からクラシックピアノを始めた[1]。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いて育った[1]。高校の頃には、ジャズ理論なども自ら学ぶ。後に、バークリー音楽大学から帰ってきた先生にバークリーメソッドで音楽理論を個人的に学んでいた。バンドを組んで自作曲を演奏したり米軍キャンプ回りをする一方、20歳の頃にはスタジオミュージシャン(キーボーディスト)としても活動を始める。バークリー音楽大学に行きたい気持ちもあったが、日本でもある程度学べたことと仕事が増えたことで、実践で経験をつけていった[1]。1977年に廣田龍人が率いる「RICKY&REVOLVER」の結成に参加(1984年脱退、後任キーボーディストは吉俣良)。1978年にアン・ミュージック・スクールに入学[1]。
1980年には、業界プレゼンライブ「第1回原宿音楽祭」に出場し優勝[1]。その頃、杏里への楽曲制作を依頼され初めて作曲を手掛けた「思いきりアメリカン」(1982年4月21日)がヒット。これを機に作曲家としても活動を開始(この曲以外の杏里への提供楽曲では、作曲のみならず、すべて作詞も手掛けていて、当時は杏里のサポート・メンバーでもあった)。またこの時、杏里のアレンジをしていた佐藤準の薦めでアレンジャー業も始めた。
25歳の頃、大村憲司との出会いをきっかけに井上陽水、坂本龍一、高橋幸宏、大貫妙子、麗美など数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加したり、松本隆・筒美京平コンビの楽曲の編曲を手掛けるなど、瞬く間に引くてあまたとなる[1]。
1987年に、桑田佳祐の1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年10月6日)、2ndソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」(1988年3月16日)のアレンジに参加し、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988年7月9日)と共に当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている[2]。
1988年、1989年には、小林自身が歌っているデモテープを聴いた大貫妙子の勧めで「小林武史」としてソロアルバムを2枚出したが、ほとんどプロモーションが無かったこともありセールス的には大きな影響を生み出せなかった(1stアルバム「Duality」に際しては制作費に3千万円かけたが、売り上げは1万枚にも満たなかった。「このころ、すでに女性ボーカルを探していたが見つからなかったので自分が歌ったが、難しかった」と語っている)[1]。
サザンオールスターズの活動再開後の初シングル「みんなのうた」(1988年6月25日)からサザンの編曲にも参加するようになった。続くアルバム『Southern All Stars』(1990年1月13日)でもアレンジに参加し、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』の音楽監督も務めた。収録曲で編曲を担当した「真夏の果実」「希望の轍」はサザンのライブでは必ずと言っていいほど歌われる曲となった。翌1991年は、原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)のプロデュース、編曲を手掛けた。この頃桑田が結成した(小林曰く“冗談のような”)期間限定バンドSUPER CHIMPANZEEにも参加、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブを行った。このライブの模様は桑田佳祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』(DVD / VHS / LD)で観ることができる。
その後もサザンの活動に参加し、『世に万葉の花が咲くなり』(1992年9月26日)のアルバムプロデュースに加わる。桑田からの評価は揺るぎなかったが、評価の高さのあまりレコーディングの際にバンドメンバーではなく小林一人に頼りすぎてしまう状態になったため(桑田は後に「あいつは危ないヤツだとわかった」と語った[3])、シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」(1993年11月20日)を最後にサザン・桑田の音楽活動に参加することはなくなった。
この頃、ほかにプロデュースを手掛けていたアーティストに大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子などがおり、作曲・編曲を手掛け小泉唯一のミリオンセラーとなる「あなたに会えてよかった」(1991年5月21日)で第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っている[要出典]。
TK時代
[編集]小林が「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」とメジャーデビュー時(1992年)からプロデュースしていたMr.Childrenは当初なかなかヒットしなかったが、アルバム『Versus』(1993年)の頃から徐々にブレイク。1995年にはかねてからデビューさせたかったAKKOとギタリスト・藤井謙二をMY LITTLE LOVERとしてデビューさせる。楽曲のほとんどが小林の作詞作曲によるもので、シングル3作目の「Hello, Again ~昔からある場所~」(藤井との共作)、1stアルバム『evergreen』共に200万枚を超える大ヒット。ヒットメーカーの名を不動のものとし、当時trfやglobeのプロデュース業で大活躍していた小室哲哉とイニシャルが同じことから「TK時代」と呼ばれた。MY LITTLE LOVERは2000年代に入ってからは、以前ほどの売れ行きを見せなくなったが、Mr.Childrenは依然として大きなセールスを続け日本を代表するモンスターバンドとなった。
また1995年には、桑田とMr.Childrenを共演させたシングル「奇跡の地球」を発表。また岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の音楽監督を務め、同映画の主人公を演じたCharaがボーカルを務める架空のバンド・YEN TOWN BAND名義で出したシングル「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」(1996年7月22日)、アルバム『MONTAGE』(1996年9月16日)をヒットさせた。岩井とは、映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)でもタッグを組み、映画と連動した架空の歌手・Lily Chou-Chou(役はSalyu)の作品をリリースした。
1996年、My Little LoverのボーカルのAKKOと結婚した。 1998年、ソニー・ミュージックエンタテインメント内のSony Music Associated Recordsに「ZONE LABEL」を旗揚げし、Woman's Soul・MANGAHEAD・Lily Chou-Chouをプロデュースするも2年で休止する。
現在
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- Mr.Childrenはプロデューサーとして共に活動していたが、ツアー自体は2007年の『Mr.Children HOME TOUR 2007』で初めてキーボーディストとして帯同。それ以降のフェスなどにも参加していたが、2014年のライブからサポートを外れている。同時に2015年発売の「REFLECTION」では小林がプロデュースした曲は数曲にとどまり、Mr.Childrenのセルフプロデュースが中心となった。
- MY LITTLE LOVERは2004年以降活動を休止していたが、2006年7月にAKKOのソロプロジェクトとしてエイベックスに移籍を発表。再始動シングル「り・ぼん」(2006年11月8日)、アルバム『akko』(2006年12月6日)では小林は作詞・作曲は行わず、一部の曲でキーボーディストとして参加、エグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされている。復活第2弾シングルとなる「あふれる」(2007年3月7日)では作曲・編曲・プロデュースを手掛けているが、その後の作品やライブ活動には関わっていなかった。しかし2008年1月3日、元日にAKKOと離婚したことを発表。その際の「現在はすでに良い友情をお互いに感じています」というコメントを裏付けるかのように、シングル「ラビリンス」(2008年3月12日)、「イニシャル」(2008年4月2日)、「アイデンティティー」(アルバム収録)の3部作を作曲・プロデュース。5月1日のMY LITTLE LOVERデビュー13周年記念ライブではアンコールでサプライズゲストとして登場し、7月21日の「ap bank fes '08」でも共演した。
- Salyuは1998年に小林がスカウト。2000年にLily Chou-Chouのボーカルとしてデビューさせ、2004年のソロデビュー、2006年頃までは、ほぼ全曲で作詞・作曲・編曲・プロデュースを行う。2005年12月31日の「COUNTDOWN JAPAN05/06」までのほぼ全てのライブに、キーボーディストとして参加。『TERMINAL』(2007年1月17日)収録の「トビラ」のPVにも出演している。2007年からSalyuのセルフプロデュースも増えたが、2010年に発表した3rdアルバム『MAIDEN VOYAGE』でもプロデュースや楽曲提供をするなど活動での関係は深い。2010年11月5日には突如Lily Chou-Chou活動再開を発表し、新曲「エーテル」を配信限定リリースした。
- レミオロメンはアルバム『朝顔』(2003年11月19日)から手がけ、シングル「モラトリアム」(2005年1月12日)、アルバム『ether』(2005年3月9日)以降の作品で全面的にかかわっている(今はセルフプロデュース)。ほぼ全曲でピアノやキーボードなどで参加しているが、ライブ活動での共演はない。シングル「太陽の下」(2006年3月1日)のPVに出演している。
- 一青窈とは「ap bankfes '05」で知り合い、「指切り」(2005年12月7日)、「てんとう虫」(2006年11月29日)(アルバム『BESTYO』収録)、「冬めく」(2007年1月31日発売予定だったが発売中止)と立て続けに楽曲提供・プロデュース。一方で、一青は小林がプロデュースするSalyuや綾瀬はるかの楽曲に詞を提供するなど、共作が続いた。
しかし2007年1月26日発売の写真週刊誌「フライデー」、およびそれを後追いしたスポーツ新聞や雑誌等において、小林と一青の不倫が発覚。これを機に仕事を共にすることはなくなっていたが、2008年7月19日の「ap bank fes '08」で共演。12月の一青主演の舞台『箱の中の女』の音楽を手掛ける。また、これらを受けてAKKOとは2008年に離婚。
- 女優の綾瀬はるかは1st、2ndシングルをプロデュース。デビュー曲「ピリオド」(2006年3月24日)ではEvery Little Thingの持田香織が、2ndシングル「交差点days」(2006年9月13日)では一青窈が作詞を行っている。
- 鬼束ちひろは約2年半に渡って活動休止状態だったが、2007年2月20日にプロデュースを手掛けることを発表。3月17日に小林主催のap bankのイベント『AP BANG! 東京環境会議 vol.1』で復活させる。シングル「everyhome」(2007年5月30日)のリリース時には『ミュージックステーション』『僕らの音楽』で鬼束と共に出演し、「everyhome」のPVにも出演している。
- PhilHarmoUniQueをプロデュース。烏龍舎の自社レーベル“ORS(OORONG RECORDS)”の第1弾アーティストとしてデビューさせる。(バンド活動を2010年6月2日から休止中。)
- lego big morlをORSとavexによる“ORS-LLP”よりデビューさせる。エグゼクティブプロデューサーとして関わっている。
- back numberは2015年からアレンジ・プロデュースに携わっており、「ヒロイン」「手紙」「クリスマスソング」「ハッピーエンド」「reunion」[4]「瞬き」「HAPPY BIRTHDAY」「怪盗」「黄色」「アイラブユー」「新しい恋人達に」などバンドの代表曲に携わっている。
- その他には、エレファントカシマシのアルバム『ライフ』(2002年5月2日)のプロデュース、SMAPのシングル「友だちへ ~Say What You Will~」(2005年1月19日)の編曲を行った。また、映画『GATE』(2008年公開)の主題歌として、伊藤由奈の「GATE」を作詞・作曲・編曲。配信限定でリリースされた。
- 映画音楽の製作にも意欲的であり『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)、『深呼吸の必要』(2004年) 、『地下鉄に乗って』(2006年)、『幸福な食卓』(2007年)、『ミッドナイト・イーグル』(2007年)の音楽監督を務めている。2009年には岩井俊二プロデュース、北川江吏子監督の『ハルフウェイ』の音楽を担当する。
- 2008年4月~9月まで『ハッピーミックス』(日本テレビ系)に出演。毎回ゲストを迎えて対談をした。
- 2008年5月25・26日放送の『NHKスペシャル 北極大変動』の音楽を担当。
- 2008年10月12日、2009年1月4日放送の『ネオコラ!東京環境会議』(フジテレビ)をプロデュース。覆面アーティスト・ブラッドベリ・オーケストラをプロデュースし、主題歌としてオンエアされたが、覆面の正体は明かされていなかった。ボーカルはSalyuと一青窈であるが、公式には明らかにされていない。
- 2008年11月26日、小林武史ソロ名義としては19年ぶりとなるアルバム『WORKS I』をリリース。CD化されていなかった映画音楽を中心に収録されている。
- 2009年10月1日、大沢伸一と共にプロデューサー・ユニット「BRADBERRY ORCHESTRA」を結成。「Lucky」(Salyu、エリィがボーカル参加)をリリースし、同年11月6日には"BBO RECEPTION PARTY"を開催。同ユニットの形態や活動内容が、一部明らかとなる。
- 2017年7月21日、Bank Bandのコンセプト変更としてReborn-Art Sessionを結成。
- 2017年9月26日、第26回モンブラン国際文化賞を受賞[5]。
- 2024年1月25日、第47回日本アカデミー賞 優秀音楽賞を受賞[6]。
ap bankでの活動
[編集]2001年に桜井和寿、田原健一とACID TESTとして活動したことがきっかけとなり、2003年に櫻井、坂本龍一らと共に環境プロジェクトへの非営利融資機関「ap bank」を設立。
2004年にap bankの活動資金や融資金を集めるために小林と櫻井を中心としてBank Bandを結成。ライブ活動やフェスの開催やCDとDVDのリリースなどを行っており、これらの収益はすべてap bankの活動資金や融資に充てられている。(詳細:リリースに関してはBank Band、フェスに関してはap bankの各ページを参照)
ap bankの活動に関連して雑誌『SWITCH』に連載を持ったり、「ap bank dialogue」と題した講演を行うなど、その活動は多岐にわたる。世界的にも活動が認められつつあり、2007年2月にはロンドンでアル・ゴアと対談、10月にはアメリカの雑誌『TIME』の特別号『Heroes of the Environment(環境問題の英雄たち)』(2007年10月29日号)にて小林と櫻井、ap bankの活動が紹介された。この号に掲載された日本人はほかにトヨタ・プリウスチームのみである。2008年5月31日にはさいたまスーパーアリーナで行われた「VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008」に桜井と小林がサプライズ出演し、ap bankでの活動に対しU2のヴォーカリスト・ボノから「Rock The World Award」を授与された。東日本大震災以降はap bankの活動をさらに精力的に進めている。
評価
[編集]「武史には『お前がうらやましいよ』と言ったことがある。だってプロデューサーと呼ばれていながら、ミュージシャンと一緒に曲が作れるんだから。俺にはそれができないから」[1](大里洋吉)
「彼と関わっていた時期は、家に帰って1人でメロディやアイディアが思いつくと、次の日に小林が何て言ってくるのか楽しみだった。『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』を作った時に小林が歌詞に対して意見した時は、今まで歌詞に関して人に何かを言われたことは無かったから、新鮮なショックを受けた」[1](桑田佳祐)
「確かに小林さん自身の引き出しの多さもありますけれど、小林さんのアドバイスによって、僕ら自身が知らなかった引き出しが開けられていく。そう仕向けることがうまいのが小林さんの特徴だと思います」[1](桜井和寿)
「私は女っぽい感情的なノリで作るけど、小林さんは数学的で色々計算している」[7](CHARA)
音楽作品
[編集]アルバム
[編集]- 『Duality』1988年11月21日
- 『TESTA ROSSA』1989年10月21日
- 『WORKS I』2008年11月26日
- 『Takeshi Kobayashi meets Very Special Music Bloods』2018年4月4日
シングル
[編集]- 「Water Color」(c/w 夏の午後)1989年7月21日
- 「晴れた日とラプソディー」(c/w 僕の中のスクリーン)1990年2月21日
ドラマ音楽
[編集]- 『ずっとあなたが好きだった』(TBS系、1992年7月~9月)
- 『ダブル・キッチン』(TBS系、1993年4月~6月)
- 『誰にも言えない』(TBS系、1993年7月~9月)
- 『終らない夏』(日本テレビ系、1995年7月~9月)
- 『御手洗家、炎上する』(Netflix、2023年7月)[8]
映画音楽
[編集]- 『稲村ジェーン』桑田佳祐監督(1990年公開)
- 『スワロウテイル』岩井俊二監督(1996年公開)
- 『リリイ・シュシュのすべて』岩井俊二監督(2001年公開)
- 『深呼吸の必要』篠原哲雄監督(2004年公開)
- 『
地下鉄 に乗って』篠原哲雄 監督(2006年公開) - 『幸福な食卓』 小松隆志監督(2007年1月27日公開)
- 『ミッドナイト・イーグル』成島出監督(2007年11月23日公開)
- 『ハルフウェイ』北川悦吏子監督(2009年2月21日公開)
- 『BANDAGE バンデイジ』小林武史監督(2010年1月16日公開)
- 『愛と誠』三池崇史監督(2012年6月16日公開)
- 『後会無期』(中国の映画)韓寒監督(中国2014年7月24日公開)
- 『万物生长』(中国の映画)李玉監督(中国2015年4月17日公開)
- 『起終点駅 ターミナル』 篠原哲雄監督(2015年11月7日公開)
- 『世界から猫が消えたなら』永井聡監督(2016年5月14日公開)
- 『ラストレター』岩井俊二監督(2020年1月17日公開)
- 『キリエのうた』岩井俊二監督(2023年10月13日公開)[9]
- 『四月になれば彼女は』山田智和監督(2024年3月22日公開)[10]
舞台音楽
[編集]- 『箱の中の女』(2008年12月)
その他の主なプロデュース・アレンジ
[編集](本文に登場するアーティスト以外)
アイリーン・フォーリーン、立花理佐、田村英里子、観月ありさ、高野寛、安田成美、BEGIN、牧瀬里穂、鈴木祥子、Uru ほか
音楽以外の著作
[編集]映画
[編集]- 『【es】 Mr.Children in FILM』(ドキュメンタリー映画、1995年6月3日公開)監督
- 『ハルフウェイ』 北川悦吏子監督(2009年2月21日公開)プロデュース・音楽
- 『BANDAGE バンデイジ』(2010年1月16日公開)監督
テレビ番組
[編集]- 『ネオコラ!東京環境会議』(フジテレビ、2008年10月12日、2009年1月5日放送)総合プロデュース
PV監督
[編集]著作
[編集]- 『環境と欲望―東京環境会議―』(ポプラ社、2008年7月)
ラジオ
[編集]- 東日本復興支援プロジェクト J-WAVE HEART TO HEART SEASON 4(2016年4月17日 ‐ 2017年3月19日、J-WAVE、毎月1回第3週目日曜22時05分 ‐ 22時54分[11])
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 講談社刊『Views』1995年9月号「『ミスチル』はいかにしてNO.1になったか Mr.Children 仕掛け人 小林武史のスゴ腕」pp.34-42より。
- ^ 『ただの歌詩じゃねぇか、こんなもん '84-'90』p112 新潮社、1990年
- ^ 『月刊カドカワ』角川書店、1996年。
- ^ back numberと秦基博と小林武史名義
- ^ 小林武史氏がモンブラン国際文化賞授賞「恐縮です」 スポーツ報知
- ^ “『第47回 日本アカデミー賞』受賞者・作品発表 授賞式司会は羽鳥慎一、岸井ゆきの【コメント全文】”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年1月25日). 2024年1月25日閲覧。
- ^ 角川書店刊「CDでーた」1996年8月5日号「CHARAプラス小林武史 YEN TOWN BAND 新曲『Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜』発表 “あいのうた”を歌おう」134P-135Pより。
- ^ "Netflixシリーズ「御手洗家、炎上する」新キャストに工藤阿須加、中川大志、恒松祐里ら". 映画ナタリー. ナターシャ. 11 May 2023. 2023年7月8日閲覧。
- ^ “岩井俊二監督最新作『キリエのうた』3種ビジュアル解禁”. スクリーンオンライン (近代映画社). (2023年7月24日). オリジナルの2023年9月23日時点におけるアーカイブ。 2023年7月28日閲覧。
- ^ "佐藤健×長澤まさみ×森七菜『四月になれば彼女は』予告編公開 "恋するビジュアル"も". Real Sound映画部. blueprint. 28 September 2023. 2024年2月2日閲覧。
- ^ “2016年04月17日のラジオ番組表(東京・ラジオ1)”. テレビ番組表の記録. 2017年3月19日閲覧。