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山田佐一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 佐一(やまだ さいち、1886年(明治19年)7月2日[1] - 1960年昭和35年)4月2日[2][3])は、日本実業家政治家衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。

来歴

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愛知県知多郡乙川村亀崎町を経て現半田市)で、山田保造の三男として生まれる[4][5]高等小学校を卒業し[5]、1913年(大正2年)に分家した[4]

木綿織布業を営み、知多商工会議所副会頭、知多白木綿同業組合長、愛知県織物同業組合連合会長、日本織物中央会副会頭、日本輸出綿織物同業組合連合会代表、日本白巾白生地工業組合連合会長、山田商店代表社員、山田紡織会長、山田織布取締役などを務めた[2][3][4][6][5]

政界では、亀崎町会議員、知多郡会議員、同参事会員、愛知県会議員、同参事会員、半田市会議員、同議長などを歴任した[2][3][4][5]

1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙に愛知県第二区から立憲政友会所属で出馬して当選[3]。次の第19回総選挙でも当選し、衆議院議員に連続2期在任した[3][4][6]。戦後、1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙愛知県地方区から日本自由党所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた[2][5]。この間、第3次吉田内閣賠償政務次官参議院郵政委員長、同予算委員長、同議院運営委員長、自由党総務などを務めた[2]

1957年(昭和32年)9月、半田市立乙川中学校建設基金として15万余円寄付により1958年(昭和33年)1月30日、紺綬褒章受章[7]

1960年(昭和35年)4月2日死去、73歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章(勲四等からの昇叙)追贈、従四位に叙される[8]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、14頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』436頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』684頁。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ヤ106頁。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 下』ヤ26頁。
  6. ^ a b 『粛正選挙代議士名鑑』116頁。
  7. ^ 『官報』第9329号473-474頁 昭和33年1月30日号
  8. ^ 『官報』第9986号96頁 昭和35年4月6日号

参考文献

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  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
議会
先代
左藤義詮
日本の旗 参議院議院運営委員長
1950年 - 1951年
次代
川村松助
先代
黒川武雄
日本の旗 参議院予算委員長
1950年
次代
波多野鼎
先代
新設
日本の旗 参議院郵政委員長 次代
水久保甚作
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