榊利夫
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榊利夫 さかき としお | |
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生年月日 | 1929年2月21日 |
出生地 | 福岡県八女郡広川町 |
没年月日 | 2003年8月19日(74歳没) |
出身校 | 早稲田大学 |
所属政党 | 日本共産党 |
選挙区 | 東京都第2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1979年10月8日 - 1983年11月28日 |
榊 利夫 (さかき としお、1929年2月21日 - 2003年8月19日)は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会委員。
来歴
[編集]福岡県八女郡広川町出身。海軍飛行予科練在籍中に終戦を迎える。1947年日本共産党に入党。熊本語学専門学校ロシア語科(現・熊本学園大学)を経て[1]、早稲田大学卒業後は同大大学院文学研究科に進むものの、1955年に中退。1958年赤旗編集局に入局し、以後理論政策部長や 前衛編集長、赤旗編集局長などを歴任する。
1977年の参議院選挙で、野坂参三の後継として東京都選挙区から立候補するも、落選する。その後、1979年に行われた衆院選で、米原昶の後継として旧東京2区から出馬し初当選を果たす。1980年の衆院選でも再選するが1983年の衆院選には出馬せずそのまま引退。地盤は榊と同じく前衛編集長を務めていた岡崎万寿秀に譲る。党内きっての理論家としても知られ、政治や宗教、思想関連の著書を数多く発表した。
2003年8月19日、多臓器不全により千葉県流山市の病院にて死去。74歳[2]。
主著
[編集]単著
[編集]- 『現代修正主義とはなにか』(青木書店、1965年)
- 『帝国主義と独占資本のイデオロギー』(青木書店、1965年)
- 『マルクス主義と哲学論争』(青木書店、1966年)
- 『マルクス主義と実存主義』(青木書店、1966年)
- 『現代トロツキズム批判』(新日本出版社、1968年)
- 『現代イデオロギー論』<上><下>(青木書店、1969年)
- 『公明党・創価学会批判』(新日本出版社、1970年)
- 『国家と変革の思想』(大月書店、1971年)
- 『政治革新とイデオロギー』(青木書店、1972年)
- 『日本の変革と理論活動』(新日本出版社、1973年)
- 『部落解放への道 - 国民的融合の理論』(新日本出版社、1975年)
- 『現代民主主義の理論 - 科学的社会主義と民主的課題』(新日本出版社、1975年)
- 『革新多数派への時代』(新日本出版社、1976年)
- 『国民的融合論の展開 - 部落問題と同和行政』(大月書店、1976年)
- 『矛盾 - 論争と問題点』(合同出版、1977年6月)
- 『現代社会主義入門』(新日本出版社、1978年4月)
- 『民主集中制論』(新日本出版社、1980年1月)
- 『天皇制と新「超国家主義」』(大月書店、1988年)
- 『宗教と歴史の進歩』(新日本出版社、1990年8月)
- 『文鮮明主義の批判 - 統一協会の過去・現在・矛盾』(白石書店、1993年3月)
- 『統一協会はどうなるか! - 謀略的・反社会的な反共組織のゆくえ』(新日本出版社、1994年12月)
共著・訳書
[編集]- 『自由の理論と科学的社会主義』(現代史出版会、徳間書店、1976年)飯塚繁太郎 との共著
- 『公明党・創価学会批判』(新日本出版社、1970年)中川一 との共編
- ナジェジダ・コンスタンチノフナ・クルプスカヤ『児童教育論』(青木書店、1978年6月)
- ナジェジダ・コンスタンチノフナ・クルプスカヤ『家庭教育論』(青木書店、1989年2月)榊公子との共訳
- ベ・チェンドリャコフ(ウラジーミル・フョードルヴィチ・テンドリャコフ)『難関』(新読書社、1961年12月。チェンドリャコフ『サーシァの門出』榊利夫訳 新読書社 1960年3月 の改題)
- アンドレイ・セルゲーヴィチ・ネクラーソフ『ほらふき船長航海記』(理論社、1959年。のち理論社フォア文庫上下巻1980年、理論社ジュニア・ライブラリー『ほらふき船長航海記 世界を笑いで』1980年)