コンテンツにスキップ

石川謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石川 謙(いしかわ けん、1891年4月29日 - 1969年7月12日)は、日本の教育史学者、お茶の水女子大学名誉教授岡崎女子短期大学初代学長。教育学者の石川松太郎は息子である。日本近世教育史、特に石門心学を研究した。

人物

[編集]

愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市花園町屋敷)に中川仙太郎の次男として生まれる[1]。1895年、4歳のときに父が死去し、碧海郡依佐美村(現・刈谷市小垣江町)で農業を営む石川松吉の養嗣子となる[1]1903年、小垣江高等小学校を卒業[1]1912年文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験教育科に合格し、1916年(大正15年)には東京高等師範学校の研究科に入学[2]。1920年に渡米し[3]、翌年スタンフォード大学に入学し、カバリー教授の指導を受ける[1]

1938年刊行の『石門心學史之研究』に対して、帝国学士院より恩賜賞を受ける[4][1]。1941年、東京帝国大学より文学博士[1]。1949年、日本教育学会理事・日本学術会議会員に選ばれる[1]。1951年、『古往来についての研究』に対して日本学士院より学士院賞を受ける[1]。1965年、岡崎女子短期大学の初代学長に就任[5]。1966年、勲三等旭日中綬賞を受ける[1]

1969年7月12日、入院先の日本大学病院で肺炎により死去[6]

没後、日本教育史学会によって石川謙賞が制定され[7]、後進の研究者に授与されている。

著書

[編集]

単著

[編集]
  • 『西洋教育史潮概説』文教書院 1925
  • 『日本庶民教育史 近世に於ける教育機関の超封建的傾向の発達』刀江書院 1929
  • 『心学教化の本質並発達』章華社 1931
  • 『近世社会教育史の研究』章華社 1934 「近世日本社会教育史の研究」東洋図書 1938
  • 『寺子屋』東方書院 1935 (日本宗教講座)
  • 『心学講話』章華社 1935
  • 『心學精粹』日本文化協會出版部 1935.10 (日本精神叢書)
  • 『ひぐらし硯 放送講話』文教書院 1936
  • 『石門心學史之研究』岩波書店 1938
  • 二宮尊徳夜話』社會教育協會 (教育パンフレツト) 1939
  • 『概観日本教育史』東洋図書 1940
  • 『五人組から隣組へ 教養講座』西村書店 1940
  • 『慎思録より駿台雑話へ』日本放送出版協会 (ラヂオ新書) 1941
  • 『二宮尊徳夜話』日本放送出版協会 (ラジオ新書) 1941
  • 『心学と現代生活』日本放送出版協会 (ラジオ新書) 1942
  • 石田梅巌』文教書院 (日本教育先哲叢書) 1943
  • 『女子用往来物分類目録 江戸時代に於ける女子用初等教科書の発達』講談社 1946
  • 『近世庶民教育史』東亜出版社 1947
  • 『教化の方法を話題として石門心学を語る』広島図書出版社 1949
  • 『我が国における児童観の発達』振鈴社 1949
  • 『古往来についての研究 上世・中世における初等教科書の発達』大日本雄弁会講談社 1949
  • 庭訓往来についての研究 教科書の取扱方から見た学習方法の発達』金子書房 1950 (東京教育大学教育学会紀要)
  • 『学校の発達 特に徳川幕府直轄の学校における組織形態の発達』岩崎書店 1951
  • 『語彙集型往來について』野間教育研究所紀要 1953
  • 『近世の学校』高陵社書店 1957
  • 『日本学校史の研究』小学館 1960
  • 『寺子屋 庶民教育機関』至文堂 (日本歴史新書) 1960
  • 『江戸時代までの学校に関する史的研究法の発達』野間教育研究所 1960
  • 『心学 江戸の庶民哲学』日本経済新聞社 (日経新書) 1964
  • 『近世教育における近代化的傾向 会津藩教育を例として』講談社 1966
  • 『石田梅岩と『都鄙問答』』岩波新書 1968

共著

[編集]

編著

[編集]
  • 往来物落穂集 上巻 文修堂書店 1927
  • 鳩翁道話 柴田鳩翁 岩波文庫 1935
  • 道二翁道話 中沢道二 岩波文庫 1935
  • 松翁道話 布施矩道 岩波文庫 1936
  • 大和俗訓 貝原益軒 岩波文庫 1938
  • 愚翁道話 宮本愚翁 宮本鬼外 1941
  • 心学道話精粋 講談社 1947
  • 心学者の言葉 金子書房 1952 (教育文庫)
  • 養生訓和俗童子訓 岩波文庫 貝原益軒 1961
  • 日本教科書大系 往来編 全15巻 石川松太郎共編 講談社 1967-1974

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 「故 石川謙博士 略年譜」『日本の教育史学』第12巻、教育史学会、1969年、228頁、doi:10.15062/kyouikushigaku.12.0_228 
  2. ^ 石川松太郎「父・石川謙を語る(特別講演録)」『教育學雑誌』第40巻、日本大学教育学会、2005年、67-78頁、doi:10.20554/nihondaigakukyouikugakkai.40.0_67 
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 93頁。
  4. ^ 石川謙君「石門心學史之研究」に對する授賞審査要旨、https://www.japan-acad.go.jp/pdf/youshi/029/ishikawa.pdf
  5. ^ 『岡崎女子短期大学創立四十周年記念誌』岡崎女子短期大学、2005年11月5日、75頁。 
  6. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和44年(1969年)7月14日朝刊12版、15面
  7. ^ 石川謙賞”. 日本教育史学会. 2020年7月16日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 石川謙氏略年譜「教育学研究」1969-9
学職
先代
(新設)
日本教育史学会会長
1943年 - 1969年
日本教育史懇談会会長
1941年 - 1943年
次代
中山一義
先代
(新設)
岡崎女子短期大学
1965年 - 1969年
次代
県巻太郎
先代
(新設)
教育史学会代表理事
1956年 - 1968年
次代
梅根悟
先代
飯本信之
日本の旗 お茶の水女子大学文教育学部長
1951年 - 1955年
次代
藤田健治
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy