習志野市立第二中学校
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習志野市立第二中学校 | |
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北緯35度41分11秒 東経140度03分31秒 / 北緯35.68643度 東経140.05865度座標: 北緯35度41分11秒 東経140度03分31秒 / 北緯35.68643度 東経140.05865度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 習志野市 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C112210001833 |
中学校コード | 120161[1] |
所在地 | 〒275-0002 |
千葉県習志野市実籾一丁目44番1号 | |
外部リンク | 公式ホームページ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
習志野市立第二中学校(ならしのしりつ だいにちゅうがっこう)は、千葉県習志野市実籾一丁目にある公立中学校。通称は「二中」。1947年創立。「自ら学ぶ 人間性豊かで たくましい生徒の育成」を教育目標に掲げる。
沿革
[編集]- 1947年5月 - 津田沼町立津田沼中学校として創立(現習志野市立津田沼小学校内)初代校長・桜井芳水以下16名の職員で津田沼小学校高等科の校舎に同居
- 1947年5月 - 津田沼町大久保旧陸軍連隊痕(泉町3丁目)に新校舎として移転
- 1947年9月 - 第2代校長・桜井武義着任
- 1948年4月 - 大久保旧陸軍部隊の戦車格納庫(泉町3丁目)を改造、専用校舎落成、第3代校長・檜貝留吉着任
- 1949年8月 - 津田沼町立第一中学校と津田沼町立第二中学校(現習志野市立第二中学校)に分離改称
- 1949年9月 - 津田沼町立第二中学校開校
- 1954年8月 - 習志野市成立に伴い習志野市立第二中学校と改称
- 1954年9月 - 第4代校長・田中丈介着任
- 1958年9月 - 習志野市立第二中学校と習志野市立実籾中学校が合併、第5代校長・三上文一着任。生徒数881名。校章、校旗、校歌の制定。
- 1958年11月 - 現在地にある新校舎(円形校舎)に移転
- 1960年1月 - 第1特別校舎完成
- 1961年4月 - 特殊学級を設置
- 1961年8月 - 体育館完成
- 1961年10月 - 第2特別校舎完成
- 1962年10月 - 第3校舎完成
- 1963年3月 - 校門完成
- 1965年2月 - 国旗掲揚塔完成
- 1966年3月 - 特殊学級用プレハブ3教室完成
- 1966年10月 - 第2運動場拡張
- 1968年3月 - プレハブ3教室増築
- 1969年4月 - 習志野市立第四中学校を分離
- 1970年4月 - 第6代校長・江波戸敏着任
- 1970年11月 - 鉄筋4階建て校舎増築
- 1972年8月 - プール完成
- 1973年4月 - 第7代校長・笹島進着任
- 1974年4月 - 第8代校長・稲垣麗着任
- 1974年5月 - 鉄筋4階建て校舎第2期増築完成、「二中をよくする会」発足
- 1975年5月 - 「二中をよくする会」を「二中後援会」と改称
- 1977年8月 - 鉄筋4階建て校舎第3期増築完成
- 1978年4月 - 習志野市立第五中学校と習志野市立第六中学校を分離、第9代校長・皆川績着任
- 1979年4月 - 円形校舎とりこわし、情緒障害児治療教室設置
- 1979年12月 - 円形校舎跡に管理棟完成
- 1982年4月 ‐ 第10代校長・三代川洋次郎着任
交通
[編集]著名な出身者
[編集]- 鈴木大地 - 元水泳選手(ソウルオリンピック金メダリスト)
- 小川淳司 - 元プロ野球選手(元東京ヤクルトスワローズ監督)
- 福浦和也 - 元プロ野球選手(千葉ロッテマリーンズコーチ)
- 田村藤夫 - 元プロ野球選手
- 岩田涼太 - だいにぐるーぷ
関連項目
[編集]- 千葉県中学校一覧#習志野市
- 円形校舎 - 習志野市立習志野高等学校(津田沼校舎)、習志野市立津田沼小学校と共に、かつて存在した。
脚注
[編集]- ^ “千葉県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2018年8月14日閲覧。